日本歴史地名大系 「珍皇寺」の解説
珍皇寺
ちんのうじ
〈京都・山城寺院神社大事典〉
〔草創〕
開基は
とあり、去丙辰年すなわち承和三年(八三六)に山代淡海らによって国家鎮護所として建立されたことが知られる。また珍皇寺の所領は
とあって確認される。「大宝以往」、「経四百余歳」は誇張とすべきであろう。
空海開基説は、承保二年(一〇七五)四月三日の珍皇寺所司大衆解案(東寺百合文書)に、「件御寺本願、尋以者、仏法流布、大師雖在多門跡、乍生身値遇出世給希也、尊彼大師本師慶俊僧都御願建立寺家矣、然而東寺者即大師御願、故相承代々長者令知行、以往不知給」とみえるが、「丙辰」を信じるならば承和三年の前年に空海は六二歳で没しており成立しない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報