辺川村(読み)へがわむら

日本歴史地名大系 「辺川村」の解説

辺川村
へがわむら

[現在地名]加治木町辺川

山田やまだ郷に飛地として所属。西から南は加治木郷西別府にしべつぷ村、東は同郷小山田こやまだ村、北は溝辺みぞべ有川ありかわ(現溝辺町)。村内を宇曾木うそのき川が南流する。中世は加治木郷のうちで、辺河とも記された。山田郷は寛永一六年(一六三九)以前に設置されたとみられるが、それ以前は帖佐ちようさ郷に所属した。

建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)によれば、加治木郷の万得まんとく名は郡本こおりもと一町二段と「辺河」四町とで編成され、辺河の領主は弁済使平左近入道西仏。なお郡本の比定地は未詳。大永六年(一五二六)一一月、出水いずみの薩州家島津実久に荷担した帖佐城(現姶良町の平山城)城主辺川筑前守らは島津忠兼(勝久)に背いた(樺山玄佐自記)


辺川村
へがわむら

[現在地名]牟岐町辺川

河内こうち村の東に位置する。北部に白木しらき山・矢筈やはず山などが連なり、たちばな川筋小松などがある。慶長年間(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に「へ川」、寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では「辺川村」とみえる。正保国絵図では「牟岐之内 辺川村」とあり、寛文四年(一六六四)郷村高辻帳では牟岐浦の枝村とする。「阿波志」によれば、土田は陸田二町五反余・水田一〇町九反余、家数三四・人数一五九。文化九年(一八一二)の棟付帳(牟岐町史)では家数四六のうち百姓四四、人数二四七。同一〇年の高都帳で高二七八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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