辺訪村
べほうむら
[現在地名]三石郡三石町字
西蓬莱・字
豊岡など
明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治一五年(一八八二)までの村。三石郡の南西部に位置し、南西は姨布村に、北は幌毛村に接する。村の西方は丘陵で、辺訪川を合せる三石川が東隣の神潭村との境を南流する(「状況報文」、明治九年「三石郡行政区域八村図」三石町史など)。近世の史料にヘハウ(ヒイシユンヒハウ)とみえる地(玉虫「入北記」、「戊午日誌」美登之誌)などからなっていた。「東蝦夷地場所大概書」によると、ヘハウは三石川の渡場から七町ほど上流にあり、「夷家五軒」と記される。玉虫「入北記」には「ヘハウ村」とみえ、家数一一、人別五三(男二七・女二六)であった(安政四年九月二日条)。
辺訪村
べほうむら
明治一五年(一八八二)から同三九年までの村。明治一五年に辺訪村が神潭村を併合して成立した。同一八年静内郡から淡路出身の高岡精一郎が当地に再入植し、和人開拓の始まりとなった。同一九年天照大神社を建立。同二一年久井良吉が秋田大豆の品種改良を行い、三石ダイズ(久井ダイズ)を作り出した。当時の作物は大豆・小豆を主とし、イナキビ、ヒエ、タマネギなども作付、同二七年に小林重吉が水田試作を行っている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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