近津神社(読み)ちかつじんじや

日本歴史地名大系 「近津神社」の解説

近津神社
ちかつじんじや

[現在地名]西方村本城

祭神武甕槌命・大己貴命・事代主命。旧郷社。もとは近津大明神と称された。正応四年(一二九一)西方氏初代の景泰が家臣山田道純・中新井高昌に命じて社を造営し、景泰が西方城を築いた際、宇都宮大明神(現二荒山神社)を勧請して西方氏の氏神としたのが始めと伝える。以後西方郷の総鎮守とされた。「下野国誌」に、源義家の奥州遠征のとき千勝大明神と改めたという伝えが記載される。近世、当地方の領主各氏とも崇敬し、神田・社領を安堵したという。元文二年(一七三七)西方郷一四ヵ村の総鎮守として正一位を授けられた(「旧県史」など)


近津神社
ちかつじんじや

[現在地名]大子町下野宮

久慈川と支流八溝やみぞ川合流点の北東約五〇〇メートルに位置する。祭神は級長津彦命・面足尊・惶根尊。旧郷社。社伝によると、日本武尊が東征の際加護を受けたので創建したといい、慶雲四年(七〇七)社殿を造営し、朝廷から神鏡・霊剣・金鈴が奉納されたという。延暦二〇年(八〇一)坂上田村麻呂が参籠し、康平年間(一〇五八―六五)源義家が戦勝祈願をしたとも伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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