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延年 えんねん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

延年
えんねん

平安時代中期から室町時代にかけて,興福寺東大寺長谷寺延暦寺園城寺など畿内の大寺院で,法会のあとや貴族接待などに行なわれた遊宴歌舞。長寿を意味する遐齢延年(かれいえんねん)から名づけられたともいわれる。

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デジタル大辞泉の解説

えん‐ねん【延年】

寿命を延ばすこと。長生きすること。
延年舞」の略。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

延年【えんねん】

寺院の遊宴歌舞の総称。〈遐齢(かれい)延年〉の語に由来するという。法会のあとなどに,寺内の僧や稚児のほか猿楽(さるがく)・田楽(でんがく)衆も風流(ふりゅう)などの芸能をつくした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

延年 えんねん

余延年(よ-えんねん)

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世界大百科事典 第2版の解説

えんねん【延年】

寺院の法会のあとに余興として演ぜられた芸能の総称。延年とは文字通り,〈齢を延ぶる〉ということで,もとは芸能を意味する言葉ではなかったが,〈詩歌管絃者遐齢(かれい)延年也〉(《庭訓往来》),あるいは〈抑,芸能とは諸人の心をやはらげて上下の感をなさん事,寿福増長のもとひ,遐齢延年の法なるべし〉(《風姿花伝》)とあるように,芸能には古来延年除禍の効験が認められており,そのために延年と言えば芸能を意味するようになったものである。

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大辞林 第三版の解説

えんねん【延年】

寿命を延ばすこと。長生きすること。 「詩歌管絃は、嘉例-の方也/庭訓往来」
延年舞 」に同じ。
寿命が延びるほどに楽しむこと。 「夫はなけれども出て共に-す/今昔 3

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

延年
えんねん

中世芸能の一つ。貴族たちが節会(せちえ)のあとで行った遊宴の際の芸能や僧侶(そうりょ)たちが法会のあとで行った遊宴の際の芸能をいう。延年の語は遐齢延年(かれいえんねん)(長寿の意)から出たという。芸能によって心を和やかにし、寿福を祈り、災(わざわ)いを除くということである。平安時代末から室町時代にかけ、近畿を中心とした寺院で盛んに行われた。延年には稚児(ちご)が出るのが特色であり、それに猿楽(さるがく)、白拍子(しらびょうし)、舞楽(ぶがく)、風流(ふりゅう)、今様(いまよう)、朗詠(ろうえい)、小歌(こうた)など上代から中世に栄えた雑多な芸能が加わっていた。しかし、延年というまとまった芸能はなく、各種多様な芸能が行われていたので、鎌倉時代には延年を乱遊ともいった。延年の流行とともに、寺院においては遊僧(ゆそう)とよばれる芸能に巧みな僧が生まれた。東大寺、法隆寺、園城寺(おんじょうじ)、興福寺、多武峯(とうのみね)(現、談山(だんざん)神社)、周防(すおう)(山口県)仁平寺(にんぺいじ)、奥州平泉の中尊寺、同毛越寺(もうつうじ)などの延年が有名であった。多武峯延年には開口(かいこう)、連事(つらね)(「れんじ」とも)、大(だい)風流、小(こ)風流などが行われており、大風流、小風流には古い猿楽能を彷彿(ほうふつ)させるものがあった。興福寺延年には寄楽(よせがく)、振舞(えんぶ)、舞催(ぶもよおし)、僉議(せんぎ)、披露(ひろう)、開口、射払(いはらい)、間駈(あいがけ)、連事、糸綸(いとより)、遊僧、風流、相乱拍子(あいらんびょうし)、火掛(ひがかり)、白拍子、当弁(とうべん)、走(はしり)、散楽(ちりがく)などの曲が行われていた。中尊寺や毛越寺の延年では呼立(よびたて)、田楽踊(でんがくおどり)、路舞(ろまい)、祝詞(のっと)、老女、若女、児舞(ちごまい)、京殿舞(きょうでんまい)、「延年」、舞楽などという曲が今日も行われているが、その曲目中、老女、若女、京殿舞は古い猿楽を想像させるし、「延年」とよんでいる留鳥(とめとり)、卒都婆小町(そとばこまち)、女郎花(おみなめし)、伯母捨山(おばすてやま)の四番の古能の構成は、今日の能が完成する直前を思わせるものである。延年のなかのさらに狭義の「延年」として、能完成直前の古い能が行われているところに、延年のなかから能が発展していった過程を知ることができる。延年は日本芸能を育てた温床の場としてその文化史的意義は大きい。
 現存する延年には、岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町の毛越寺(1月20日)、同中尊寺(5月4日)のほかに、栃木県日光市の輪王寺(りんのうじ)(5月17日)、岐阜県郡上(ぐじょう)市白鳥(しろとり)町の長滝(ながたき)延年(1月6日)、島根県隠岐(おき)国分寺(隠岐の島町)の蓮華会舞(れんげえまい)(4月21日)などがあり、現在もなお昔のおもかげを伝えている。[後藤 淑]
『能勢朝次著『能楽源流考』(初版・1938/再版・1979・岩波書店) ▽本田安次著『延年資料その他』(1948・能楽書林) ▽林屋辰三郎著『中世芸能史の研究』(1960・岩波書店)』

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世界大百科事典内の延年の言及

【開口】より

…寺院の延年において演ぜられた,言葉を主体とした芸能。その実態をよく伝えるのが1544年(天文13)書写の《多武峰(とうのみね)延年詞章》の開口7編で,それによればまず仏法の功徳などが述べられたあと,一定の題材に沿った洒落や秀句が比較的長く語られ,最後に延年の場に来臨した諸衆を祝福するという形になっている。…

【稚児舞】より

…神の尸童(よりまし)として神聖視される男児が演ずる舞。寺院における法会のあとの延年(えんねん)や,神事の場で演じられる。稚児の舞う舞楽は別に稚児舞楽の称がある。…

【日本音楽】より

…尺八の同類である一節切(ひとよぎり)も輸入され,このほうは一般庶民の楽器として,箏や三味線と合奏されたり,流行歌や民謡を吹くことにも用いられた。また,僧徒の遊宴で行われていた延年と称する総合芸能の中に〈越天楽歌物〉も含まれていたが,それらに基づいて北九州に筑紫流(つくしりゆう)箏曲(筑紫箏)が興った。社会的にも混乱の時代であった室町後期は,芸能の面においても混乱の時代であったといえる。…

【風流】より

…前者の代表は祇園会(祇園祭)に京の町衆によって引かれる山鉾であるが,現在の趣向は,応仁の乱後の1496年(明応5)復興以降の趣向が定着したものである。 中世の大きな美意識の潮流ともいえる風流の精神は,日常生活はもとより,同時代の芸能である延年(えんねん)や能・狂言にも影響を与えた。
[延年の風流]
 寺院の法会のおりの延年には,〈大風流〉〈小風流〉と呼ばれる演目がある。…

【舞】より

…その媒体となったのが,奈良・平安時代に輸入され普及した外来の楽舞――伎楽(きがく),舞楽(ぶがく),散楽(さんがく)であった。伎楽は早くに滅びたが,その師子(しし)の芸は,二人立ちの獅子舞となって民俗芸能に大きな分野を占め,舞楽は平安時代に著しく日本化され,のち,延年(えんねん)や猿楽能(能)の舞に影響を与え,散楽は,田楽(でんがく)や猿楽を育てる大きな要素となった。
[延年の舞]
 延年は,興福寺や延暦寺などの近畿の諸大寺をはじめ,各地の寺院で行われた芸能で,平安末から鎌倉時代にかけて栄えた。…

【摩多羅神】より

…比叡山をはじめ,法勝寺,多武峰(とうのみね)妙楽寺,日光輪王寺,出雲鰐淵寺など各地方の中心的天台寺院の常行堂の後戸(うしろど)にまつられた。その祭祀は,たとえば輪王寺の《常行堂故実双紙》によると,修正会と結合した常行三昧のなかで,この神を勧請して延年が行われ,七星をかたどる翁面を出し,古猿楽の姿を伝える種々の芸能が演ぜられた。平泉毛越寺常行堂には今もこうした延年が伝えられ,摩多羅神とおぼしい翁が登場して祝詞を唱える。…

【問答】より

…日本の芸能の中には,早くから問答体による一種の劇が成立していたらしく,《玉葉》治承2年(1178)11月2日条には,春日祭に赴いた勅使の一行に加わる舞人が,奈良坂において検非違使(けびいし)に扮し,風刺をともなう問責劇を演じたことが見える。延年(えんねん)や猿楽能にも,一曲の見せ場を導くために問答を設定する場合がある。延年の大風流(おおふりゆう)では,問答によって走物(はしりもの)などの風流衆を導き,舞楽で納め,連事(れんじ)では白拍子(しらびようし)などの歌謡を導く。…

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