コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

近衛稙家 このえ たねいえ

美術人名辞典の解説

近衛稙家

室町後期の公卿。関白太政大臣尚通の子、前久の父。足利義稙より稙の一字を授かり、稙家と称す。一字名は梅・橘等。関白・太政大臣を務めた。のち官を辞し足利義晴に仕えた。和歌・連歌を能くし、古典籍書写にも努めた。永禄9年(1566)歿、64才。

出典|(株)思文閣美術人名辞典について | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

近衛稙家 このえ-たねいえ

1503-1566 戦国時代の公卿(くぎょう)。
文亀(ぶんき)3年生まれ。近衛尚通(ひさみち)の子。足利義稙(よしたね)の名の1字をもらい,また妹慶寿院が足利義晴にとつぐなど将軍家とふかくむすびつく。大永(たいえい)5年(1525)関白,氏長者となり,天文(てんぶん)6年(1537)太政大臣。従一位。和歌,連歌にすぐれ,父から古今伝授をうけた。永禄(えいろく)9年7月10日死去。64歳。号は恵雲院。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

近衛稙家

没年:永禄9.7.10(1566.7.26)
生年文亀2(1502)
戦国時代の公家。父は近衛尚通。母は徳大寺実淳の娘維子。永正11(1514)年従三位の後,右大臣を経て関白を2度歴任。妹慶寿院が足利義晴に嫁していたこともあり,将軍家とは結び付きが深い。天文22(1553)年,三好長慶の入洛で足利義輝が京都を追われるとそれに従い,近江朽木に過ごす。永禄1(1558)年には義輝に娘を嫁がせている。天文期からは薩摩島津氏との交際もみられ,『島津家文書』には,稙家が島津忠良の作る「いろは歌」に奥書を加えたり,その子貴久らの受領,官途を斡旋したとの記述がみえる。父尚通から古今伝授を受け,『源氏物語』を学んだ。和歌や連歌の作品も残っている。一字名は「梅」。号は恵雲院覚天大円。なお生年を文亀3(1503)年とする説もある。

(湯川敏治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

このえたねいえ【近衛稙家】

1503‐66(文亀3‐永禄9)
室町末期の公卿。太政大臣近衛尚通の子。将軍足利義稙の偏諱(へんき)を受く。元服後右近衛権少将を振出しに左近中将,左大将,右大臣等を歴任して関白,太政大臣,准三宮となる。将軍義晴とは姻戚関係に当たり,1542年(天文11)太政大臣を辞して後も義晴・義輝父子としばしば行を共にし,47年には北白川城に従軍して三好長慶と戦っている。有名な近衛前久は彼の嫡男。【今谷 明】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

近衛稙家の関連キーワード聖護院道澄北条氏綱里村紹巴足利義昭斎藤正義谷宗牧谷宗養尊信宗養道澄

今日のキーワード

かりゆし

1 沖縄方言で「縁起がよいこと」「めでたいこと」を表す語。2 「かりゆしウエア」の略。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android