近衛稙家(読み)このえたねいえ

改訂新版 世界大百科事典 「近衛稙家」の意味・わかりやすい解説

近衛稙家 (このえたねいえ)
生没年:1503-66(文亀3-永禄9)

室町末期の公卿太政大臣近衛尚通の子。将軍足利義稙偏諱(へんき)を受く。元服後右近衛権少将を振出しに左近中将,左大将右大臣等を歴任して関白,太政大臣,准三宮となる。将軍義晴とは姻戚関係に当たり,1542年(天文11)太政大臣を辞して後も義晴・義輝父子としばしば行を共にし,47年には北白川城に従軍して三好長慶と戦っている。有名な近衛前久は彼の嫡男
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛稙家」の解説

近衛稙家 このえ-たねいえ

1503-1566 戦国時代の公卿(くぎょう)。
文亀(ぶんき)3年生まれ。近衛尚通(ひさみち)の子。足利義稙(よしたね)の名の1字をもらい,また妹慶寿院が足利義晴にとつぐなど将軍家とふかくむすびつく。大永(たいえい)5年(1525)関白,氏長者となり,天文(てんぶん)6年(1537)太政大臣。従一位。和歌,連歌にすぐれ,父から古今伝授をうけた。永禄(えいろく)9年7月10日死去。64歳。号は恵雲院。

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