道場河原村(読み)どうじようがわらむら

日本歴史地名大系 「道場河原村」の解説

道場河原村
どうじようがわらむら

[現在地名]北区道場町道場どうじようちようどうじよう

武庫むこ川支流の有馬ありま川・有野ありの川が合流する地にある有馬郡の村。丹波地方から小浜こはま(現宝塚市)へ向かう道と、播磨方面から有馬温泉への街道が当地で合流し(丹波街道)宿場町が形成されていた。中世には八多はた庄に含まれたとみられ、応安四年(一三七一)秋、湯治のため湯山ゆのやま(有馬)に下向し、ついでに広峯ひろみね神社(現姫路市)に参詣した京都祇園社前執行顕詮は、一〇月七日に湯山を出発、山口やまぐち(現西宮市)を経て湯山より二里の距離にある「畑庄道場河原」から赤松氏所領家原えいばらに向かっている(祇園執行日記)。「蔭涼軒日録」文正元年(一四六六)閏二月一五日条によれば同日、道場河原において八子大夫の演ずる勧進申楽が行われており、人々の集散する地であったことがうかがわれる。天正六年(一五七八)荒木重堅の三田城に対し、道場河原と三本松さんぼんまつに織田信長方の陣城が造られており(「信長公記」同年一二月一一日条)、それによって住民が避難したためか、翌七年一一月二六日、千石秀久・羽柴秀吉は道場河原の百姓・町人中に対して帰還を命じ、家などを建て還住するために従前どおり諸役等の免除をすることを伝えている(「羽柴秀吉判物」道場河原町文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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