日本歴史地名大系 「達良郷」の解説
達良郷
たたらごう
「和名抄」高山寺本に「達良」と記し、「太々良」と読む。刊本には「多良」と記して訓を欠くが、「たたら」と読むことに異説はない。「新撰姓氏録」によると「多多良公、出自御間名国主爾利久牟王、天国排開広庭天皇御世、投下、献金多々利金乎居等、賜多々良公姓也」とある。欽明天皇のとき任那王室の一族が帰化し、多多良公の姓を賜ったというのであって、多々良の地名もここに根拠を置いた渡来系氏族から起こった名であろう。ただし、大内多々良氏譜牒ならびに大内氏系図によると、推古天皇一九年に百済国聖明王の第三王子琳聖太子が周防国
達良郷
たたらごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報