遠山正瑛(読み)トオヤマ セイエイ

20世紀日本人名事典 「遠山正瑛」の解説

遠山 正瑛
トオヤマ セイエイ

昭和・平成期の園芸学者 鳥取大学名誉教授;日本沙漠緑化実践協会会長。



生年
明治39(1906)年12月14日

没年
平成16(2004)年2月27日

出生地
山梨県富士吉田市

学歴〔年〕
京都帝大農学部〔昭和9年〕卒

学位〔年〕
農学博士

主な受賞名〔年〕
勲三等旭日中綬章〔昭和52年〕,吉川英治文化賞(第27回)〔平成5年〕「親子2代で砂漠緑化・農業開発」,日韓国際環境賞(第2回)〔平成8年〕,読売国際協力賞(特別賞 第3回)〔平成8年〕,国連人類に対する思いやり市民賞,マグサイサイ賞(平和・国際理解部門)〔平成15年〕

経歴
真宗寺院の三男に生まれる。昭和10年から外務省文化事業部の留学生として北京に滞在。帰国後、17年鳥取高等農林学校(現・鳥取大農学部)教授。戦後、同大砂丘研究所を開設、砂丘地利用の研究を進め、同大を乾燥地研究の拠点に育て上げた。47年退官。この間、42〜48年日本砂丘研究会(現・日本砂丘学会)会長。54年以来、度々中国西域・シルクロードを訪れ、砂地農法による緑化の技術指導に尽力。鳥取市内に園芸産業研究所を開設した他、60年沙漠開発研究所、平成3年日本沙漠緑化実践協会を設立。15年“アジアノーベル賞”と呼ばれるフィリピンのマグサイサイ賞を受賞した。著書に「よみがえれ地球の緑」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「遠山正瑛」の意味・わかりやすい解説

遠山正瑛
とおやませいえい

[生]1906.12.14. 山梨
[没]2004.2.27. 鳥取,鳥取
農学者。1934年京都帝国大学農学部を卒業。1942年鳥取高等農林学校(のちの鳥取大学)教授に就任直後から鳥取砂丘の開発に取り組み,同大学を乾燥地研究の拠点に育て上げた。1972年に鳥取大学を退官後まもなく,中国の内モンゴル自治区を中心に砂地農法による砂漠緑化の技術指導に取り組み始めた。1991年,84歳のときに「日本沙漠緑化実践協会」を設立,内モンゴル自治区恩格貝に移住して成長の早いポプラを植え始めた。またボランティア隊員を募集し「緑の協力隊」を組織,みずからも植樹作業に加わり,10年間で樹木約 300万株を植えた。1993年には,父のあとを継いで砂漠緑化研究に取り組む長男の柾雄とともに吉川英治文化賞を受賞。1995年に内モンゴル自治区政府より栄誉公民の称号を授与され,2003年にはアジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞した。(→乾燥地形砂丘

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遠山正瑛」の解説

遠山正瑛 とおやま-せいえい

1906-2004 昭和-平成時代の園芸学者。
明治39年12月14日生まれ。遠山柾雄(まさお)の父。昭和17年鳥取高農(現鳥取大)教授となり,砂地農法を研究。33年鳥取大砂丘利用研究施設(現乾燥地研究センター)をひらく。47年の退官後,中国の砂漠の緑地化にとりくみ,トングリ砂漠にブドウの近代化モデル園をつくる。平成2年モウス砂漠のポプラ100万本植林キャンペーンをはじめた。5年柾雄とともに吉川英治文化賞。15年マグサイサイ賞。平成16年2月27日死去。97歳。山梨県出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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