日本大百科全書(ニッポニカ) 「郭嘉」の意味・わかりやすい解説
郭嘉
かくか
(170?―207?)
中国、後漢(ごかん)末、曹操(そうそう)の幕僚。字(あざな)は奉孝(ほうこう)。潁川(えいせん)郡陽翟(ようてき)県(河南(かなん)省禹(う)県)の人。はじめ袁紹(えんしょう)の配下となったが、袁紹の才能に見切りをつけて、荀彧(じゅんいく)の推挙により曹操に仕えた。たまたま卒(しゅっ)した戯志才(ぎしさい)にかわって謀議にあずかり、曹操から高く評価された。袁紹の優柔不断を指摘して、さきに呂布(りょふ)を倒すことを進言、攻めあぐねる曹操を励まして下邳(かひ)の戦いで呂布を滅ぼした。200年の官渡(かんと)の戦いでは、袁紹の十の弱点を掲げて曹操に勝利を確信させ、孫策(そんさく)が許(きょ)を襲撃しようとすると、孫策が暗殺されることを予見、その情報分析の的確さを知らしめた。袁紹の死後、その二子である袁譚(えんたん)、袁尚(えんしょう)を分裂に追い込み、一挙に滅ぼす策を進言するなど優れた軍師で、曹操がもっとも寵愛(ちょうあい)した人物である。しかし、曹操の河北(かほく)平定中に夭折(ようせつ)した。曹操は赤壁(せきへき)の敗戦の後、「奉孝が生きていれば、わたしをこんな目にはあわせなかったであろうに」と嘆いたという。
[渡邉義浩]
『渡邉義浩著『「三国志」軍師34選』(PHP文庫)』