郭子興(読み)かくしこう(英語表記)Guo Zi-xing; Kuo Tzǔ-hsing

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

郭子興
かくしこう
Guo Zi-xing; Kuo Tzǔ-hsing

[生]?
[没]至正15(1355)
中国,元末の紅巾軍の一部将。定遠 (安徽省) の人。父郭公は曹州 (山東) より移住した占い師,母は富人の娘であったが盲人,子興はその次男。親分肌で,日頃から私財を投じて賓客壮士と交わりを結んでいた。元末,紅巾軍が蜂起すると,至正 12 (1352) 年これに呼応して,壮士数千人を集めて起兵し,濠州 (安徽) を占拠して元軍を退け,元帥と称した。明の太祖朱元璋 (→洪武帝 ) は彼の部下として頭角を現し,その養女 (馬公女) を妻とした。子興は璋州 (安徽) の陣中で病没し,太祖から 滁陽王を贈られた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

郭子興
かくしこう
(?―1355)

中国、元末群雄の一人。定遠(ていえん)(安徽(あんき)省)の人。若いころから遊侠(ゆうきょう)の徒と交わっていたが、1352年紅巾(こうきん)の徒として挙兵し、濠州(ごうしゅう)(安徽省)を奪って元帥を称した。このとき朱元璋(しゅげんしょう)(のち明(みん)の太祖)が彼の軍に参加し、しばしば戦功をたて、彼の娘を妻(のちの馬(ば)皇后)とした。彼は朱元璋の協力を得てたびたび元軍を破ったが、同志の間に内紛が絶えず、やがて病を得て没した。1370年に(ちょよう)王を贈られた。[谷口規矩雄]

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世界大百科事典内の郭子興の言及

【洪武帝】より

…彼は濠州(安徽省鳳陽県)の貧農の子に生まれ,若くして親,兄弟をなくし,一時僧侶となった。ちょうどこのころ,韓林児を首領とする紅巾の乱が起こり,その一党であった郭子興も濠州を占領して反乱にたちあがった。彼は意を決して郭子興軍に投じ,紅巾軍の一兵士となったが,たちまち頭角をあらわし一方の部将となった。…

※「郭子興」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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