里免(読み)さとめん

日本歴史地名大系 「里免」の解説

里免
さとめん

[現在地名]生月町里免

山田やまだ村の北に位置し、東西は海に面する。南西部にばん岳がある。日蓮宗玄祥げんしよう院のほか、応永年間(一三九四―一四二八)に松浦天叟が創建したという禅宗の永光えいこう(現臨済宗妙心寺派)があり、応永二九年八月晦日銘の鐘に大願主の伊勢大守沙弥玄慧(山田清福ともいう)のほか、住持の比丘素久、願主の玄本が記される。慶長四年(一五九九)平戸松浦家を継いだ鎮信は籠手田氏・一部氏の家臣らを立退かせ、新たに里・たち浦に加藤左衛門を配し、同一九年当時は生月奉行のもと船原利兵衛・西寺三郎の知行となっている(同一九年「松浦信正分限帖」生月史稿)。寛永元年(一六二四)奉行井上信貞が山田の常楽じようらく(現廃寺)に生月島の男女を残らず集め、「宗門を転ばせ姫大明神にて誓詞血判を」行わせ、里村では永光寺で転びを強いたが、里村の雪浦次郎右衛門妻なつが転びキリシタンになることを拒絶したため、数日間晒し、簀巻にして海に沈めたという(松浦家世伝草稿)


里免
さとめん

[現在地名]鷹島町里免

鷹島の中央部北寄りに位置し、北西の浜方にじよう山がある。東部は日比ひび水道に臨む。清水しみず川の南の丘陵に大宰府にモンゴル襲来を報じた対馬守護代宗助国の家臣という対馬小太郎のものとされる高さ五尺の自然石の墓標があり、方二間・高さ三尺の石塚を伴うほか、石壇上に五輪塔一一基と宝篋印塔四基がある。対馬様と俗称されているが、小太郎は少弐景資の配下として鷹島で戦って討死したあと、その遺言で対馬を望むこの地に埋葬を願ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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