朝日日本歴史人物事典 「野中千代子」の解説
野中千代子
生年:明治4.9.30(1871.11.12)
明治期に夫の至(本名到)に協力して富士山頂で気象観測を行い,『芙蓉日記』(『報知新聞』連載)を著す。福岡県生まれ。本名千代。能楽師梅津只円・ヤスの子。明治28(1895)年10月1日から富士山頂で越冬の予定で高層気象観測を始めた夫の身を案じ,10月中旬周囲の反対を押し切って登頂。1日12回,2時間おきの観測に専念できるよう夫の身の回りの世話をし,また観測を手伝った。しかしふたりとも寒さと高山病に悩まされ,12月22日人々に説得されやむなく下山。至83日,千代子71日の滞在であった。この観測の記録は,のち落合直文の『高嶺の雪』,新田次郎の『芙蓉の人』などの小説のモデルともなった。なお,富士山頂滞在は現在も夏冬とも1回3週間までと定められており,ふたりの滞在日数はその勇気と忍耐力とともに輝かしい記録として残る。
(梅野淑子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報