歌人、国文学者。文久(ぶんきゅう)元年11月22日、陸前国(宮城県)伊達(だて)家の重臣鮎貝(あゆかい)家に生まれ、幼名亀次郎。桜舎(さくらのや)、萩之家(はぎのや)と号した。落合直亮(なおあき)の養子となり、名を直文と改めた。伊勢(いせ)神宮教院に学び、国史、国文を修めた。1881年(明治14)上京、翌年東京大学古典科に入学したが、83年兵役のため中退、88年皇典講究所の国文教師となる。この年、長詩『孝女白菊の歌』を『東洋学会雑誌』に発表、七五調のロマン的叙事詩で反響をよぶ。92年、雑誌『歌学』創刊号に新しい歌観を示した和歌革新論を述べた。『日本大文典』『ことばの泉』などの編著があり、国文学者、教育者としても業績を残した。93年「あさ香社」を結成し、新派和歌の結社として与謝野鉄幹(てっかん)、金子薫園(くんえん)、尾上柴舟(おのえさいしゅう)ら多くの俊秀を育成。詩・短歌・文の改良を意図し、実作に示していった。
歌の特色は、国士的な感慨を詠んだ作風から詠史的優雅な境地となり、主情的なものから人生の哀れに透徹した境地を生み出し、流麗な調べをもつ作風。明治36年12月16日没。没後『萩之家遺稿』(1904)、『萩之家歌集』(1906)がある。
[藤岡武雄]
緋緘(ひをどし)の鎧(よろひ)をつけて太刀佩(は)きて見ばやとぞ思ふ山桜花
『『明治文学全集44 落合直文他集』(1968・筑摩書房)』
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明治の歌人,国文学者。号は萩之家(はぎのや)。宮城県生れ。伊達藩の名門鮎貝(あゆかい)家に生まれ国学者落合直亮(なおあき)の養子となる。東大古典講習科中退。一高,国学院などで教鞭をとるかたわら国語国文学の普及に力をそそぎ,《日本大文典》(1894-97),国語辞典《ことばの泉》(1898-99,のち《言泉》)などを出した。1888年長編叙事詩《孝女白菊の歌》で名声を得,93年4月にあさ香社を創立,実弟鮎貝槐園(かいえん),与謝野鉄幹らの俊秀を集めて新派和歌の基礎を築いた。没後刊行の《萩之家遺稿》(1904),《萩之家歌集》(1906)などがある。包容力にとみ,明治の革新歌人を育成した功績は大きい。〈霜やけの小さき手して蜜柑むくわが子しのばゆ風の寒きに〉(《萩之家歌集》)。
執筆者:本林 勝夫
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(古田島洋介)
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1861.11.15~1903.12.16
明治期の歌人・国文学者。陸奥国本吉郡生れ。号は萩之家(はぎのや)。仙台藩伊達家の家老鮎貝盛房の次男として生まれ,平田派の国学者落合直亮の養子となる。伊勢の神宮教院から東京大学古典講習科に学ぶ。1888年(明治21)長編新体詩「孝女白菊の歌」を発表。のち森鴎外らの新声社に参加,93年短歌革新をめざし,あさ香社を設立した。「日本文学全書」や国語辞典「ことばの泉」の編纂など,国語国文研究にも寄与した。
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…1889年(明治22)8月2日《国民之友》第58号の綴込み夏季付録として発表された。訳者は〈S.S.S.〉(新声社の略),メンバーは森鷗外,小金井良精夫人で鷗外の妹喜美子,落合直文,市村瓚次郎(さんじろう),井上通泰。鷗外の翻訳作品集《水沫集(みなわしゆう)》(1892)に再録するときに2編を加えて全19編となった。…
※「落合直文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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