日本歴史地名大系 「野友村」の解説 野友村のともむら 高知県:安芸郡北川村野友村[現在地名]北川村野友現北川村の南西端、奈半利(なはり)川流域に位置し、南の奈半利村(現奈半利町)に接して広がる平野に野友本村があり、北側対岸は久府付(くぶつけ)集落。野川(のがわ)村の西にあり、奈半利村の枝村。奈半(なは)庄に含まれた地で、戦国時代には野友左京之進が村内東の岡の平(おかのひら)に城を築き、勢力をもっていた(土佐古城記)。野友平野は江戸時代までは幾筋も奈半利川が流れ、集落は東側の山際につくられたが、村内前田家は南北朝頃に京都より、井津家は遠州井伊谷(いいのや)(現静岡県引佐郡引佐町)の城主井伊直親の一族が大坂冬の陣に敗れて来住したと伝える。 野友村のともむら 茨城県:鹿島郡鉾田町野友村[現在地名]鉾田町野友巴(ともえ)川南岸の丘陵上にあり、北西は借宿(かりやど)村。建長二年(一二五〇)当麻(とうま)郷より立村といわれ(茨城県町村沿革誌)、室町中期以降武田氏の影響下に置かれ、元亀年間(一五七〇―七三)頃、武田信房が北方の防備として野友城を築き、鹿島氏に対処したと伝える(鉾田の文化)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報