日本歴史地名大系 「野津院」の解説
野津院
のつのいん
現野津町の大部分と
建武四年(一三三七)三月五日の一色道猷軍勢催促状案(吉岡文書)は大友野津大炊助太郎に宛てられている。この人物は翌五年正月日の軍忠状(同文書)では大友一族野津大炊助大郎親久とみえる。親久は建武四年三月二〇日勲功の賞として
野津頼宗以降波津久・戸上・椎原・荒瀬・久土知・岩屋・御久里・佐土原・笠良木・長小野・小河内など野津院内の地名を名乗る庶流が出た(常楽寺本「大友氏系図」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報