日本歴史地名大系 「野町」の解説
野町
のまち
犀川の南、北陸街道沿いの両側町で、元禄九年(一六九六)の書上(「片岡孫作筆録」加越能文庫)によると本町。犀川大橋南詰から南西に延び、泉町に続く。城下の中心部から一―六丁目と区画された。一丁目は大橋より南西
町名は、かつて金沢城下が拡大されて泉村の東方に広がる野地、泉野が町地になったとき
野町
のまち
野村の北方、
寛文一一年(一六七一)南龍院(頼宣)死去に際し、その徳をしのんで南龍神社に祀ったことは野村と同じである。明治二年(一八六九)の家数四五(うち庄屋一、皆無役)、人数二〇六とあり(白子領大指出帳)、耕地は少ないものの家数・人数は野村より多い。野町は瓦屋の多い所で、これで生計を立てる家が多かった。
野町
のまち
野町
あしのまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報