野麦道
のむぎみち
享保九年(一七二四)成立の「信府統記」によると、「松本ヨリ飛騨高山ヘノ道程」の項に本道と山道の両道のあることが記されている。この本道を野麦道としており、その道筋を次のように記している。
<資料は省略されています>
また、松本から梓川右岸を通って橋場番所(夏道という、波田の三溝で梓川を渡って左岸に出て、焼山・大野田・島々を経て橋場に出る道を冬道という)に出、稲
・入山・角ヶ平・古宿を経て寄合渡で落ち合う道があり、安曇郡地方ではこれをも野麦道と称しており、藪原から境峠を越えて寄合渡に出る(五里)分だけ近道であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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