金創医 (きんそうい)
金瘡医とも書く。刀剣,矢じりなどの金属製武器によるきりきずを手当てする外科医。南北朝期の戦乱が要求した医療技術の分科として生まれ,金創を専門にあつかった医書の出現もこの期にみられる。戦陣に従軍した時宗の僧徒の医療が金創医の始まりとみられ,武家出身の金創医も現れて室町幕府や戦国武将お抱え医師となり,群雄割拠の時流にのって戦国期にますます栄え,方剤や術式の多少の差異で一派をたて多くの流派を生んだ。金創に対する出血の手当てもお産のそれと同じ技術だとして,金創医の中から平和時に助産に当たる者が出て産科医が生まれ,金創医が陣中で使用した気つけ,止血の金創薬(振出し薬)が産前産後薬として転用されたものも少なくない。さらに金創医系産科医の中から小児科医が派生している。鉄砲伝来以後,洋方の金創術は南蛮流外科術の主軸となり,鉄砲疵(きず)の手当てに威力を発揮し,有力な医療技術として定着し,中国系外科術に代わって発展した。
執筆者:宗田 一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の金創医の言及
【医学】より
…14~15世紀にかけて名を残している医師たちの多くは,いずれも,ある特定領域の診療を得意としている。眼科の馬島流の開祖馬島晴眼,産婦人科の安芸守定,また,うちつづいた戦乱の間に創傷処置にたけた[金創医],すなわち外科医も,多くの流派ができた。室町時代には明との交通が盛んで,個人的に留学する医師も多く,中国の医書・医薬品も多く流入した。…
【医者】より
…僧医の壺隠庵有隣は疾病ごとにその原因,症候,診断,類症鑑別,予後を記した《福田方》を著し,生西は民間療法を結集した《五体身分集》を著してその普及をはかっている。治療に必要な技術だけを重視したもので,戦国期の[金創医]に大きな影響を与えた。武士を兼ねた金創医は創傷治療を主としていたが,助産や婦人病,さらに小児病などをも治療の範囲としていたから,必然的にこの分野の専門医を生み,実質的な医療の分化をうながした。…
※「金創医」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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