デジタル大辞泉
「金崎宮」の意味・読み・例文・類語
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かねがさき‐ぐう【金崎宮】
- 福井県敦賀市金ケ崎町、金崎城址にある神社。旧官幣中社。後醍醐天皇の皇子、尊良(たかよし)親王、恒良(つねよし)親王をまつる。明治二三年(一八九〇)創建。親王さま。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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金崎宮 (かねがさきぐう)
福井県敦賀市の南北朝時代の史跡金崎城址に建てられた神社。旧官幣中社。後醍醐天皇の第1皇子尊良(たかよし)親王と第6皇子恒良(つねよし)親王をまつる。新田義貞に奉ぜられた両親王は,1337年(延元2・建武4),金崎城によって足利方と戦って敗れ,尊良親王は自害,城を逃れた恒良親王も翌年京都で毒死した。1890年,尊良親王をまつる神社の創建が決せられた。92年恒良親王を合祀。翌年勅使が下って鎮座祭が行われた。例祭は5月6日。
執筆者:大隅 和雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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金崎宮
かねがさきぐう
福井県敦賀(つるが)市金ヶ崎町に鎮座。祭神は後醍醐(ごだいご)天皇の皇子尊良(たかなが)親王、恒良(つねなが)親王。足利尊氏(あしかがたかうじ)が背くや、両親王は1336年(延元1・建武3)北陸で義兵をあげ金崎城に拠(よ)ったが、城は落ち、尊良親王は自害、恒良親王も捕らえられ、のち毒殺された。金崎城址(し)に1890年(明治23)尊良親王奉斎の神社が創建され、2年後に恒良親王を合祀(ごうし)した。旧官幣中社。摂社絹掛(きぬがけ)神社は1897年創建で、新田義顕(にったよしあき)、気比氏治(けひうじはる)をはじめ従軍将士を祀(まつ)る。例祭は5月6日。また、両親王御命日祭(3月6日、4月13日)のほか、花換祭(はなかえまつり)(4月上旬)、御船遊管絃祭(おふなあそびかんげんさい)(10月20日)など、特殊神事がある。
[平泉隆房]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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金崎宮【かねがさきぐう】
福井県敦賀市金ヶ崎町に鎮座。旧官幣中社。尊良(たかよし)親王・恒良(つねよし)親王(ともに後醍醐天皇の皇子)をまつる。新田義貞とともに,気比氏の金崎城によって足利尊氏の軍と戦い,尊良親王はここで自刃,恒良親王は捕らえられた。1893年鎮座。
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金崎宮
かねがさきぐう
福井県敦賀市に鎮座。元官幣中社。祭神は後醍醐天皇の皇子の尊良親王,恒良親王。例祭5月6日。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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