日本大百科全書(ニッポニカ) 「金枓奉」の意味・わかりやすい解説
金枓奉
きんとほう / キムトボン
(1889―?)
北朝鮮の学者、政治家。慶尚南道(けいしょういなんどう/キョンサンナムド)機張に生まれる。普明中学校卒業後、教育に携わり、ハングル学者として名をあげた。1919年の三・一独立運動に参加したのち上海(シャンハイ)に亡命し、大韓民国臨時政府に参加。1940年延安(えんあん/ヨンアン)に入り、延安政治学校校長となり、1942年朝鮮独立同盟主席に就任。1945年、帰国後新民党を創立し、1946年北朝鮮共産党との合党による北朝鮮労働党委員長となる。以後、金日成(きんにっせい)大学総長、最高人民会議常任委員長(国家元首)、祖国統一民主主義戦線議長などの要職を歴任した。1956年、反金日成運動に加担したため、1958年に党を除名され、奥地山村の農牧場に追放された。その後、消息不明となり、死去したといわれる。
[玉城 素]