改訂新版 世界大百科事典 「李東輝」の意味・わかりやすい解説
李東輝 (りとうき)
(R)I Tong-hǔi
生没年:1873-1928か35
朝鮮の独立運動家。号は誠斎。咸鏡道端川の生れ。旧韓国軍官学校出身。安昌浩の啓蒙思想に共鳴,新民会,西北学会に参加,早くから開化運動に献身して名声が高かった。1907年日本の朝鮮軍解散命令に反対する江華鎮衛隊の蜂起に連座して逮捕され,11年寺内総督暗殺未遂事件にも連座。のち満州,シベリアに亡命し独立運動の指導者となる。ウラジオストクで投獄されるが,ロシア革命で自由の身となり,その民族自決政策に関心をもち,しだいに共産主義思想に共鳴,労農ロシアとの連帯をとなえ,ハバロフスクで韓人社会党を組織(のち上海に移り,21年高麗共産党となる)。19年の三・一独立運動後,上海の大韓民国臨時政府に参加し,軍務総長,国務総理を歴任した。労農ロシアと上海臨時政府のパイプ役となったが,ソ連からの独立援助資金をめぐって保守派の反撃を誘発し引責辞任,臨時政府との関係を断ち,シベリア在住朝鮮人社会の長老の役割を果たした。
執筆者:姜 徳 相
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報