改訂新版 世界大百科事典 「大韓民国臨時政府」の意味・わかりやすい解説
大韓民国臨時政府 (だいかんみんこくりんじせいふ)
1919年4月朝鮮人独立運動家たちが上海で組織した亡命政府。三・一独立運動勃発後,独立運動の継続と拡大のため,また対外的にも民族の統一的な指導機構の必要性が痛感され,内外各地で政府樹立計画がすすめられた。当時上海には申圭植,申采浩,呂運亨,李光洙ら多くの独立運動家が集結していたが,彼らは臨時議政院を組織し,李承晩を首班とする閣僚を選出,臨時憲章を制定し,大韓民国臨時政府(臨政)の樹立を宣言した。同じころソウルとシベリアでも臨時政府樹立が宣言されたが,それはやがて上海を基盤に統合されていく。同年6月内務総長安昌浩が着任し,連通制(朝鮮内との秘密連絡網)の組織化や機関紙《独立新聞》の創刊,各種外交・宣伝活動などが展開された。しかし臨政は上海派とシベリア派の対立,安昌浩と李承晩の対立など指導者間の対立抗争もあって混乱が続き,23年国民代表会議の決裂後急速に勢力が弱まった。25年大統領李承晩の弾劾免職後,臨政を率いたのは金九であった。金九は32年李奉昌と尹奉吉(いんほうきつ)による相つぐ抗日テロ事件を引き起こし,また33年には蔣介石と対日戦線協力で合意をみた。しかし日本軍の大陸進出に伴い臨政は上海を脱し,40年重慶に入った。そこで光復軍総司令部をたて,41年日米開戦の翌日,対日宣戦を布告。本国進撃に備える途中解放を迎えた。その後南朝鮮に進駐した米軍が臨政を正統政府として認めなかったため,臨政は事実上解体された。
執筆者:大塚 嘉郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報