金色院跡
こんじきいんあと
白川と寺川に挟まれた盆地、京都府宇市白川の白川宮ノ前・同宮ノ後辺りにあった寺。後冷泉天皇の皇后四条宮寛子(藤原頼通女)が、康和四年(一一〇二)に創建したと伝え、近世に至るまで金色院十六坊と称される多数の塔頭があった。文殊菩薩を本尊とするその本堂は、寺名が示すように荘厳華麗なものであったが長禄四年(一四六〇)に焼失したという。これらの伝承は寛正四年(一四六三)八月に著された金色院御堂再興勧進状(白川地蔵院文書)の記載によるもので、寛子在生当時以降一五世紀前半に及ぶ間の金色院についてはその存在を証す史料はない。しかし最近の発掘調査では、平安時代後期の堂跡や、堂内に安置されていた仏像や仏具に使用されていたと思われる金箔やガラス小玉、室町時代の僧房跡などが発見されており、史料的な空間が埋められつつある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 