日本歴史地名大系 「鍋倉城跡」の解説
鍋倉城跡
なべくらじようあと
遠野市街地の南に突き出した鍋倉山(三四三・九メートル)にある遠野南部氏の居城跡。西は
寛永四年(一六二七)三月、盛岡藩主南部利直は当時陸奥八戸にあった一族の八戸弥六郎直義(のち直栄)を遠野に移し(以降遠野南部氏)、当城に置いた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
遠野市街地の南に突き出した鍋倉山(三四三・九メートル)にある遠野南部氏の居城跡。西は
寛永四年(一六二七)三月、盛岡藩主南部利直は当時陸奥八戸にあった一族の八戸弥六郎直義(のち直栄)を遠野に移し(以降遠野南部氏)、当城に置いた。
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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