鍋倉城跡(読み)なべくらじようあと

日本歴史地名大系 「鍋倉城跡」の解説

鍋倉城跡
なべくらじようあと

[現在地名]遠野市東館町

遠野市街地の南に突き出した鍋倉山(三四三・九メートル)にある遠野南部氏の居城跡。西はさるいし川、東は早瀬はやせ川を外堀とし、来内らいない川が内堀役目を果すなど、天然の要害となっている。文治五年(一一八九)の藤原氏滅亡後、阿曾沼広綱が源頼朝から遠野一二郷を与えられ(阿曾沼興廃記)、次子の親綱が鶴音かくおん山の東裾野の台地護摩堂ごまどう山に横田よこた(護摩堂城・薬師城)を築いた。天正年間(一五七三―九二)阿曾沼孫次郎広郷が鍋倉山に移るまでの数百年間遠野地方の政治の中心となった(阿曾沼家乗など)。鍋倉城に移転後も旧城の名を受けて横田城あるいは新横田城ともよばれた。天正七年と推定される七月二〇日の陸奥遠野広郷宛書状写(奥南旧指録)に「閉伊郡遠野横田城主ハ、阿曾沼孫三郎広長トテ」とみえ、同二〇年の南部領諸城破却書上には「横田 山城破 信長抱代官九戸左馬助唐之共」とある。移転の理由は度重なる洪水の被害のためといわれる。慶長五年(一六〇〇)広長のとき起きた一族鱒沢広勝らの反乱と三戸南部氏の介入により阿曾沼氏は没落し、南部氏は遺領を横田城代によって治めた。

寛永四年(一六二七)三月、盛岡藩主南部利直は当時陸奥八戸にあった一族の八戸弥六郎直義(のち直栄)を遠野に移し(以降遠野南部氏)、当城に置いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「鍋倉城跡」の解説

鍋倉城跡

(岩手県遠野市遠野町4~6地割)
遠野遺産指定の地域遺産。
天正年間(1573~1592)に阿曽沼氏が築城。現在は都市公園

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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