長久寺村(読み)ちようきゆうじむら

日本歴史地名大系 「長久寺村」の解説

長久寺村
ちようきゆうじむら

[現在地名]山東町長久寺

柏原かしわばら村の東、美濃国境の野瀬のせ山南麓の山地に立地。応徳二年(一〇八五)五月八日の太政官牒案(醍醐雑事記)に、柏原庄東境は「館岳」とみえるが、たて岳は長比たけくらべ(野瀬山系の一峰)に比定されている。同山中にあった古寺長久寺が村名の由来と伝える。東海道(近世の中山道)が通り、国境の長比(長校・長競)越は難所で知られた。文明五年(一四七三)五月二日近江・美濃両国の山を左右に見て長比を通過した一条兼良は「右ひたりみて過行はあふみちの二の山そたけくらへする」と詠んだ(藤川の記)。また両国の家人が寝物語ができるほど接近していたことから寝物語ねものがたりの里とも称され、同一二年六月当地を旅した源持資は「寝物語という所にて」歌を詠んでいる(平安紀行)


長久寺村
ちようきゆうじむら

[現在地名]久慈市新井田にいだ田屋町たやちよう

門前もんぜん村の南、久慈川と長内おさない川との合流点の北部に位置。地名は元中八年(一三九一)当地に義山叟釈が開いたとされる臨済宗長久寺に由来するという。長久寺は領主久慈氏の菩提所として栄えたが、久慈氏の滅亡とともに衰退、廃寺同様となって本寺聖寿しようじゆ(現盛岡市)の預るところとなったが、延宝年間(一六七三―八一)大道によって花巻に再興された(内史略)。元和四年(一六一八)九月五日の南部利直知行宛行状(宝翰類聚)によれば、聖寿寺に与えられた五〇〇石のうちに久慈長久寺門前の五〇石余が入っている。正保国絵図に村名がみえ、高八〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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