日本歴史地名大系 「長畝村」の解説 長畝村ながうねむら 長野県:塩尻市塩尻地区長畝村[現在地名]塩尻市大字長畝塩尻宿の東端から北に分れる五千石(ごせんごく)道に沿う村。東は山地で南は中山道塩尻宿、西は堀之内(ほりのうち)・桟敷(さじき)両村、北は諏訪領南熊井(みなみくまい)村に接する。中世までは塩尻郷東条(ひがしじよう)に属していた。村名の由来は東に東西に長い幾つかの尾根が平行しているためであろうか。その尾根の間に塩沢(しおさわ)・芦沢(あしさわ)・栗の木沢(くりのきさわ)・池(いけ)ノ入(いり)などの沢が流れ、この自然流を用水にしている。寛永一九年(一六四二)の信州松本御領分村々高附帳には「新屋敷長畝村 二百八拾八石壱斗九升」とあり、新屋敷は元和以後の新田分である。 長畝村ながうねむら 新潟県:佐渡郡新穂村長畝村[現在地名]新穂村長畝青木(あおき)村の西。当村・二方潟(にほうがた)村・谷塚(たにづか)村の三ヵ村は集落・耕地など入交じり、隣家同士村が異なる例が多い。小字長畝・内巻(うちまき)・島(しま)に三ヵ村の集落が各々ある。永徳元年(一三八一)一二月二四日の室町将軍家(足利義満)御教書(木村正辞氏所蔵文書)によると、「賀茂郡内長畝半分」などが本間左衛門四郎(雑太本間氏の有重か)の相伝の知行地となっている。 長畝村のうねむら 福井県:坂井郡丸岡町長畝村[現在地名]丸岡町長畝・城北(じようほく)竹田(たけだ)川の左岸、千田(せんだ)村の東に位置する。古代は「和名抄」に記される長畝郷の地。中世は長講堂領坂北(さかきた)庄内長畝郷の中心であったと思われる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図には長畝村は高一三四七・七八石と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by