日本歴史地名大系 「長石村」の解説 長石村ながいしむら 新潟県:佐渡郡真野町長石村[現在地名]真野町長石国府(こうの)川べりの真野湾砂丘上にあり、北は四日町(よつかまち)村、南は新町(しんまち)村、東は名古屋(なごや)村。小木(おぎ)街道(現国道三五〇号)の両側に家並が連なる。村民の大部分は四日町大願(だいがん)寺の末寺宝林(ほうりん)寺(四日町にある)の檀家。鎮守の長石神社は神体が長い石で、市場神であった。旧社名は祇園社で、伝えでは四日町の府中八幡(若宮八幡宮)の付近にあったが戦国期末頃現地に移されたという。神社前にある古い池は古川(ふるかわ)とよばれ、江戸時代の初めまで国府川が流れていた旧跡という。国府川が新しい河道につけ替えられるのは寛永五年(一六二八)頃である(佐渡年代記)。当村は四日町村の分村的性格を持ち、生活様式・習慣はほぼ一体である。 長石村ながしむら 千葉県:君津市旧周淮郡地区長石村[現在地名]君津市長石大谷(おおやつ)村の東に位置する。応永二四年(一四一七)八月の日英末寺等支配注文(法宣院文書)に周東(すとう)郡内として「南長石顕妙寺」とみえ、弟子の千代寿と寅菊が譲られた末寺講演職に含まれる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高八一石。元禄郷帳では高八七石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高一九九石余、家数一三、幕府領と旗本河内領。天保郷帳では高一一〇石余。寛政の村高帳の高は、天保郷帳では別に記載される長石平野新田高二一石余および横田(よこた)村新田高六六石余を含むか。 長石村ながいしむら 福岡県:糸島郡二丈町長石村[現在地名]二丈町長石波呂(はろ)村の西に位置する。慶長四年(一五九九)の怡土郡石高帳(二丈町誌)によれば高三六六石余。正保郷帳では田二七二石余・畠三九石余。元禄国絵図では高四五五石余。領主の変遷は松末(ますえ)村と同じ。天保三年(一八三二)の中津藩領郷村高帳下書では高四五五石余(うち宝暦四年から文化元年までの出高三斗余)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by