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長谷川千四 ハセガワセンシ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長谷川千四 はせがわ-せんし

1689-1733 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)作者。
元禄(げんろく)2年生まれ。もと大和(奈良県)長谷寺の僧。還俗(げんぞく)して大坂にすみ,享保(きょうほう)12年「敵討御未刻太鼓(かたきうちおやつのたいこ)」をかく。合作に初代竹田出雲(いずも)との「加賀国篠原合戦」,文耕堂との「壇浦兜(かぶと)軍記」などがある。俳諧(はいかい)を椎本才麿(しいのもと-さいまろ)にまなび,点者をつとめた。享保18年4月20日死去。45歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

長谷川千四

没年:享保18.4.20(1733.6.2)
生年:元禄2(1689)
江戸中期,上方の浄瑠璃作者。大和長谷寺の僧侶として相当の地位まで進んでから還俗したといわれる。初めは椎本才麿に入門して俳諧をたしなみ,千四もその俳号であった。浄瑠璃の作は享保12(1727)年竹本座初演の「敵討御未刻太鼓」が最初で,これは単独作。以後,初代竹田出雲との合作3編のあと,文耕堂との合作で「須磨都源平躑躅」「鬼一法眼三略巻」「壇浦兜軍記」などの名作を生み出した。一時竹本座からの独立を企てたが失敗したという。追悼句集『はつか草』には俳壇,劇界の八十余名が名を連ねている。なかで油煙斎貞柳 の狂歌「寂光の都は行て帰らねばみやげに作る上瑠璃もなし」は,もうひとつの単独作「京土産名所井筒」を踏まえたもの。<参考文献>前島春三『近代国文学の研究』

(井口洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

はせがわせんし【長谷川千四】

1689~1733) 江戸中期の浄瑠璃作者。大和の人。長谷寺の僧侶の出。理屈の多い義理詰めの作風がめだつ。「鬼一法眼三略巻きいちほうげんさんりやくのまき」「壇浦兜軍記」などを合作。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内の長谷川千四の言及

【鬼一法眼三略巻】より

…5段。作者は正本内題下に〈文耕堂,長谷川千四〉とある。1731年(享保16)9月大坂竹本座に初演。…

【壇浦兜軍記】より

…1732年(享保17)9月大坂竹本座初演。文耕堂,長谷川千四合作。近松門左衛門の《出世景清》を素材として,平家滅亡後,鎌倉の源氏方に追われる平家の侍大将悪七兵衛景清と,その愛人五条坂の遊女阿古屋の物語を描いたもの。…

【文耕堂】より

…その後は再び竹本座で著作を続け,24曲ほどを書いた。初期は長谷川千四との合作が多く,30年の《三浦大助紅梅靮》,同じく《須磨都源平躑躅(すまのみやこげんぺいつつじ)》,31年9月の《鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりやくのまき)》,32年9月の《壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)》などがあり,現在も人形浄瑠璃,歌舞伎ともに上演されることが多い。ほかに,三好松洛との合作として36年(元文1)5月の《敵討襤褸錦(かたきうちつづれのにしき)》,37年1月の《御所桜堀川夜討(ごしよざくらほりかわようち)》,38年1月の《行平磯馴松(ゆきひらそなれまつ)》がある。…

【三浦大助紅梅靮】より

…1730年(享保15)2月15日から大坂竹本座初演。長谷川千四,文耕堂の合作。《吾妻鑑》や《源平盛衰記》などにみえる頼朝の伊豆挙兵の史実を背景にしたもの(源平合戦物)。…

※「長谷川千四」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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