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長谷川藤広 はせがわ ふじひろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長谷川藤広 はせがわ-ふじひろ

1567-1617 織豊-江戸時代前期の武士。
永禄(えいろく)10年生まれ。徳川家康の側近のひとり。慶長11年(1606)長崎奉行となり,キリシタンの取り締まり,外国貿易の管理などにあたる。14年有馬晴信とともにポルトガル船を攻撃し自爆させた。19年堺奉行もかねる。元和(げんな)3年10月26日死去。51歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。通称は左兵衛

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

はせがわふじひろ【長谷川藤広】

?‐1617(元和3)
江戸初期の長崎奉行,堺代官。通称左兵衛。徳川家康の駿府政権に属する吏僚の一人で幕府の対外政策やキリシタン禁制に関与し,らつ腕を振るった。1609年(慶長14)有馬晴信とともに長崎に入港したポルトガル船マードレ・デ・デウス号を撃沈させたほか,12年に家康がキリシタン禁制を打ち出すと肥前各地の取締りに当たり,14年高山右近や宣教師を澳門(マカオ),マニラに追放した。ついで大坂の陣に従軍。翌年堺政所職と小豆島の代官を兼ね,戦火で荒廃した堺の復興と,長崎と堺を結ぶ瀬戸内海輸送路の一元的掌握に努めた。

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世界大百科事典内の長谷川藤広の言及

【有馬晴信】より

…朱印船貿易に参加しマカオで家臣を殺され,1610年報復として長崎沖でポルトガル船マードレ・デ・デウス号を爆沈させた。この行賞に関し家康側近本多正純の与力岡本大八に金品を詐取され,これが露見しかつ長崎奉行長谷川藤広謀殺の企てが発覚して甲斐に流刑され死を賜った。【五野井 隆史】。…

【香木】より

…東南アジア(南蛮)産の樹木の材質部を原材とする香料の一種。香料には植物の花・実・根・葉・樹脂等のほか,動物質から鉱物まで用いられるが,なかでも古来珍重されてきたのが香木である。日本はもちろん中国にも香木は産出せず,すべて南蛮渡来である。
[歴史]
 エジプトでは第5王朝(前2494‐前2345),中国でも戦国時代(前430‐前221)にすでに香炉が出現しているが,香木がたかれたのではない。中国への香木渡来は仏教とともに漢代に西域を通じてもたらされ,のちには南方から船舶により搬入された。…

※「長谷川藤広」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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