長谷川長綱(読み)はせがわ ながつな

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川長綱」の解説

長谷川長綱 はせがわ-ながつな

1543-1604 織豊-江戸時代前期の武士
天文(てんぶん)12年生まれ。天正(てんしょう)18年(1590)徳川家康の関東入国後,相模(さがみ)三浦郡浦賀に陣屋をもうけ,三浦郡などを支配代官頭(がしら)として検地おこない,各地寺院開基・再建する。また東海道川崎宿発展の基礎をきずいた。慶長9年4月12日死去。62歳。駿河(するが)(静岡県)出身通称は七左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長谷川長綱の言及

【代官頭】より

…江戸初期の関東領国支配の中心であった有力な大代官の呼称。一般に三河譜代の伊奈忠次(備前守),武田旧臣の大久保長安(石見守),今川旧臣の彦坂元正,長谷川長綱らの有力な地方巧者(じかたこうしや)をいう。彼らは1590年(天正18)関東入国以前から検地や給人知行を担当したが,入国以後は徳川家康の側近グループの一翼となり,幕政に参画しながら代官,手代を指揮して地方行政を実施した。…

※「長谷川長綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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