朝日日本歴史人物事典 「長谷川長綱」の解説
長谷川長綱
生年:天文12(1543)
江戸初期の代官頭。通称は七左衛門。今川家臣長谷川長久の3男。徳川氏の5カ国領有時代に遠江,駿河の代官として活躍した。天正18(1590)年関東入国後は,相模国三浦郡西浦賀(横須賀市)の陣屋を拠点として民政を行い,江戸湾防衛にも当たっている。直接支配地は相模国三浦郡,武蔵国多摩川河口の六郷,川崎領(東京都大田区,神奈川県川崎市)などである。代官頭として検地の実施,知行割や交通制度の確立に参画,東海道川崎宿の基礎も築いた。連署の文書には関東を中心に知行,寺社領宛行状,伝馬定書,地子免許状などが発給されているが,代官頭伊奈忠次,大久保長安,彦坂元正に比べると権限も弱く,その病死は代官頭の消滅の契機となった。墓は神奈川県逗子市の海宝院にある。<参考文献>村上直『近世神奈川の研究』,『神奈川県史』通史編2巻
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報