朝日日本歴史人物事典 「長野業政」の解説
長野業政
生年:明応8(1499)
戦国時代の武将。憲業の次男。信濃守。一盛斎と称す。関東管領上杉憲政に仕え,榛名山東南麓の箕輪城を本拠とし,西上野地方最大の武士団である箕輪衆の旗頭となった。永禄3(1560)年上杉氏の関東出陣の折に成立した「関東幕注文」(『上杉家文書』)によると,箕輪衆19人のうち業政と同じ檜扇の紋を持つ者10人,あとの9人は榛名山周辺の武士たちである。業政は12人の子女を小幡氏・安中氏など西上野の領主たちに嫁がせ,武田氏・北条氏の侵攻に備えた。西からの武田信玄の侵攻を前に63歳で没。墓所は群馬県箕郷町長純寺にある。<参考文献>近藤義雄『箕輪城と長野氏』(『上毛文庫』4巻)
(唐澤定市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報