長門警固番(読み)ながとけいごばん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長門警固番」の意味・わかりやすい解説

長門警固番
ながとけいごばん

文永弘安の役後,モンゴル襲来にそなえるためにおかれた鎌倉幕府の役名。建治1 (1275) 年5月関門海峡を中心とした長門国警備に,長門周防安芸備後の4ヵ国の御家人があてられ,翌2年8月には山陽道南海道御家人拡大され,長門探題の指揮下に入った。この番役慣行幕府の滅亡後もしばらく存続したようである。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「長門警固番」の解説

長門警固番
ながとけいごばん

鎌倉幕府が,長門国防備のために編成した異国警固番役。1275年(建治元)5月12日,守護二階堂行忠から長門国警固にあたる御家人不足の報告をうけた幕府は,長門に周防・安芸を加え3カ国の御家人で守護させるように命じた。その後,同月20日には備後を加えて4カ国とし,翌年8月には,山陽道・南海道諸国にも地域を拡大,御家人だけでなく本所一円地の住人にも催促の対象を広げた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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