日本大百科全書(ニッポニカ) 「開元天宝時代」の意味・わかりやすい解説
開元天宝時代
かいげんてんぽうじだい
中国、唐の第6代玄宗の治世(713~756)を、その主要年号の開元(29年間)と天宝(15年間)にちなんでこのようによぶ。唐の極盛期であるとともに、中国古代文化のピークを迎えた時代である。祖母の則天武后以来、韋后(いこう)、太平公主に及ぶ女人政治を排し、宮廷クーデターで覇権を握った玄宗は、姚崇(ようすう)、宋璟(そうえい)、張説(ちょうえつ)、張九齢ら文人宰相を用いて政治の安定を図り、民力の涵養(かんよう)にも意を用いた。平和が続いたので戸口は増し、財政も豊かになった。封禅(ほうぜん)が行われ、集賢・翰林院(かんりんいん)に文化人が集められ、李白(りはく)、王維(おうい)らの詩や呉道玄の画、あるいはインド伝来の密教や玄宗の篤信した道教など多様な文化活動が栄えた。しかし、小農民階層の分解、逃戸の増加、貨幣経済の浸透による収奪の強化は帝国の地盤を崩し、支配層内部の対立や外族の侵攻も加わり、天宝年間には王朝の奢侈(しゃし)も極まり、秩序も乱れ、社会不安がみなぎり、ついに安禄山(あんろくざん)の反乱が起こって瓦解(がかい)した。
[池田 温]