コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

宋璟 そうえいSong Jing; Sung Ching

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宋璟
そうえい
Song Jing; Sung Ching

[生]竜朔3(663)
[没]開元25(737).洛陽
中国,唐の名相。 邢州 (河北省) の人。進士出身。則天武后時代御史中丞として寵臣張氏兄弟を誅すべしと奏請し,その剛正をうたわれた。8世紀初め宰相となり,姚崇 (ようすう) とともに綱紀粛正に努め,また節倹を旨として国力の培養をはかり,玄宗開元の治の基礎を築いた (→開元・天宝の治 ) 。吏部尚書から右丞相に進み,広平郡公に封じられ,死後文貞の諡を賜わった。「姚宋」は名相の代名詞に使われる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

そうえい【宋璟 Sòng Jǐng】

663‐737
中国,唐代の名宰相。邢州南和(河北省)の人。若くして科挙の進士科に合格し,則天武后に厳正ぶりを認められ頭角をあらわした。武后の寵臣張易之・昌宗兄弟を厳しく指弾したことは有名。睿宗朝に姚崇(ようすう)とともに宰相となり,武后・氏らによる混乱した政治の収拾に努めた。太平公主の政治介入により一時左遷されたが,玄宗朝にふたたび宰相となった。玄宗朝前半の開元の治は姚崇と彼に負うところが多く,唐初,貞観の治の〈房杜〉(房玄齢杜如晦)と同じように,〈姚宋〉と称せられ,唐代を代表する名相・賢相に数えられる。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


そうえい
(663―737)

中国、唐の名相。 (けいしゅう)(河北省)の人で進士出身。則天武后時代に御史中丞(ぎょしちゅうじょう)となり、寵臣(ちょうしん)張氏兄弟を誅(ちゅう)すべしと奏請し、その剛正をうたわれた。8世紀初め、姚崇(ようすう)に次いで宰相に任じ、ともに綱紀粛正に努め、節倹を旨とし国力の培養を図り、開元の治の基礎を築いた。吏部尚書(りぶしょうしょ)から右丞相(うじょうしょう)に進み広平郡公に封ぜられ、死後文貞と諡(おくりな)された。貞観(じょうがん)時代の「房杜(ぼうと)」と並び「姚宋」は名相の代名詞に使われる。[池田 温]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

宋璟の関連キーワード玄宗[唐]池田開元

今日のキーワード

だまし面接

企業が面談や懇談会と称して就職活動中の学生を呼び出し、実質的には学生を選考する偽装面接のこと。2016年卒業の大学生に対する選考活動の開始時期を、従来の4月1日から8月1日以降へと後ろ倒しする主旨の「...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android