サルゴン2世(その他表記)Sargon Ⅱ

改訂新版 世界大百科事典 「サルゴン2世」の意味・わかりやすい解説

サルゴン[2世]
Sargon Ⅱ

古代アッシリアの王。在位,前721-前705年。アッカド語ではシャッル・キンŠarru-kin。新アッシリア時代末期に帝国の最盛期を現出した,4代95年にわたるサルゴン朝の創始者。おそらく前王シャルマネセル5世の弟で,王位奪者。前721年,即位後ただちに,前王が3年間攻囲を続けたサマリアを陥落させ,イスラエル王国を属州とし,南進してガザを討ち,反乱を支援したエジプト軍を国境で大敗させ,また北シリアの要衝カルケミシュを属州とした(前715)。前708年にはフリュギア王ミダスに備えてキリキアにも遠征した。北方では前714年にウラルトゥの山岳都市ムサシルを占拠,ルーサス1世を敗死させ,北境を父王ティグラトピレセル3世時代よりさらに拡大した。

 南方でも,即位と同時にバビロニア王となったメロダクバラダン2世を前710年に征討,バビロニア,エラム,メディアの一部を支配下に置き,こうして父王の基本政策に従って帝国をさらに拡大・強化した。しかしこれには,大神殿の免税特権の復活によって僧侶階級の支持を得るなどの政治的措置が必要であった。王は古都ニネベの北北東20kmの地点に6年の歳月をかけて新都ドゥル・シャッルキン(今日のコルサバード)を造営し,東西貿易路を脅かす山岳民に備えたが,死後放棄された。王は北西イランの山岳地帯への遠征中,待伏せした山岳民に殺されたと伝えられる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サルゴン2世」の意味・わかりやすい解説

サルゴン2世
サルゴンにせい
Sargon II

[生]?
[没]前705
アッシリア帝国の王 (在位前 722~705) 。サルゴンはアッシリア語シャルル=キン (「王は正統」の意) のヘブライ語読み (イザヤ書 20・1) 。アッシリア北部と東部の諸部族の圧力を完全に封じ,アッシリア帝国最後の王朝 (前 609滅亡) を創始した。クーデターで廃された前王シャルマネゼル5世の弟との説もある。前 721年シリアの反アッシリア連合と戦い,前 714年ウラルトゥに侵入,その都を占領,前 713~712年ムシュクと近隣部族およびウラルトゥの同盟を切りくずし,同じく前 713年アシュドドを盟主とした反アッシリア連合を粉砕,前 710年長年攻めあぐんだバビロニアからカルデアの指導者メロダク=バラダン2世の勢力を一掃するとともに,前 707年新興勢力,キンメリ人を西方へ駆逐した。彼はニネベの東 16kmに新首都ドゥル・シャルルケーンを建設,今日コルサバードとして知られている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サルゴン2世」の解説

サルゴン2世(サルゴンにせい)
Šarru-kîn Ⅱ[アッカド],Sargon Ⅱ[ヘブライ,英]

(在位前722/前721~前705)

アッシリアの最盛期サルゴン朝の創始者。ただし彼が王位簒奪者であったか否かについては説が分かれる。シリア・パレスチナ連合軍を打ち破ってイスラエル王国を滅ぼした後,アナトリア,アルメニア(ウラルトゥ)に遠征,さらにバビロニアを併合した。彼が造営した首都ドゥル・シャルキン(「サルゴンの砦」の意。現コルサバード)は,19世紀末の発掘で有名になった。

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世界大百科事典(旧版)内のサルゴン2世の言及

【アッシリア】より

…前5千年紀には,ハッスナ,ハラフ,サーマッラーの三つの文化圏が確認されている。前3千年紀の前サルゴン期には,膠着語を話す,均質的とはいえないがフルリ人と親縁関係にある定着原住民スバル人の上に東セム系遊牧民が支配的要素として加わり,今やメソポタミアの発展の先頭に立つシュメール文化の影響の下に,都市アッシュールが建設された。アッカド王国時代にはサルゴン王らによって征服され,マニシュトゥシュ王がニネベに神殿を造営している。…

【アッシリア美術】より

…画面は動きが少なく荘重な雰囲気を漂わせていて,個々の細部描写は緻密丁寧である。アッシュールナシルパルに続く帝王の時代にも浮彫は製作されていたが,次のピークはサルゴン2世(在位,前721‐前705)がドゥル・シャッルキンDur‐Sharrukin(現,コルサバード)の都を新設したときに訪れた。ここにはサルゴンの宮殿のほか,大規模な神殿やジッグラトが造られたが,都の造営そのものは未完に終わった。…

【宮殿】より

… なお,中国の宮殿については〈都城〉の項目を参照されたい。
[古代]
 宮殿の発生は,シュメールやアッシリアなど古代専制国家の時代にうかがうことができ,マリの宮殿(前3千年紀末),サルゴン2世の宮殿(前8世紀,コルサバード)などの遺跡が発掘によって確認されている。とりわけ後者は古代帝国の威容を誇るにふさわしく,約300m2の広さで,国王の居室だけでなく,神殿,ジッグラト,政庁などを収め,あらゆる権力をひとつに集めていた。…

【メソポタミア】より

…最後のウルカギナ(ウルイニムギナ)はウンマのルガルザゲシに敗北した。ルガルザゲシはウルク王になるとともに他都市をも軍事占領し,ここにシュメール都市国家時代が終わるが,のちルガルザゲシはセム系アッカドのサルゴンに敗れた(前24世紀中葉)。 キシュ王の高官であったサルゴンは,のち独立してアッカド王朝を樹立した。…

※「サルゴン2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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