改訂新版 世界大百科事典 「姚崇」の意味・わかりやすい解説 姚崇 (ようすう)Yáo Chóng生没年:650-721 中国,唐代の名相。陝州硤石(河南省)の人。契丹対策で則天武后に認められて宰相となり,睿宗のとき中書令となったが,太平公主のために地方官に左遷された。玄宗が即位すると宰相に復活し,宋璟(そうえい)とともに開元の治の基をひらいた。太宗貞観期の〈房杜〉(房玄齢・杜如晦)とともに〈姚宋〉と称せられて,唐代名相の代表にあげられる。奢侈や厚葬を禁じ,当時の浮華な仏教のあり方を痛烈に批判した彼の遺令は,当時の社会風潮を知るうえできわめて貴重である。執筆者:愛宕 元 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「姚崇」の意味・わかりやすい解説 姚崇ようすうYao Chong; Yao Ch`ung [生]永徽1(650)[没]開元9(721).9.3. 洛陽中国,唐の名相。陝州 (河南省陝県) の人。本名は元崇。字は元之。則天武后の時代に才能を認められて要官を歴任し,次いで中宗,睿宗から玄宗の初期にかけてしばしば宰相となり,国政を粛正し,民生の安定に努めた。開元4 (716) 年引退し,跡を宋 璟 (えい) が引継いだ。「開元の治」 (→開元・天宝の治 ) をもたらした功臣とたたえられ,「姚宋」は唐の名相の代名詞となった。仏教,道教の尊崇される時勢にもかかわらず,「僧侶や道士を招くな」と遺言したのは有名な逸話。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「姚崇」の意味・わかりやすい解説 姚崇ようすう(650―721) 中国、唐の宰相。本名は元崇。玄宗の開元の年号を避けて姚崇と改めた。陝(せん)州(河南省)の人。則天武后(そくてんぶこう)に抜擢(ばってき)されて宰相となったが、武后朝の政治の弊害是正に努め、中宗の復位にも功があった。以後、唐朝回復後の政治の公正化に努力し、玄宗朝では宋璟(そうえい)とともに開元の名相とされる。合理主義者でもあり、世間の迷信を排して蝗害(こうがい)駆除を断行し、また当時の仏教信仰の行きすぎにも批判的であった。[谷川道雄] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by