間宮茂輔(読み)マミヤ モスケ

20世紀日本人名事典 「間宮茂輔」の解説

間宮 茂輔
マミヤ モスケ

大正・昭和期の小説家



生年
明治32(1899)年2月20日

没年
昭和50(1975)年1月12日

出生地
東京

本名
間宮 真言(マミヤ マコト)

学歴〔年〕
慶応義塾大学文科予科中退

経歴
株屋店員、鉱山事務員などをしながら文学を志し、昭和4年「朽ちゆく望楼」を発表。プロレタリア文学運動に接近し、やがて政治運動に入り、8年検挙され10年転向出獄した。転向後「母」「あらがね」、13年「突棒船」を刊行。戦時下においては農民文学懇話会に所属し、戦後新日本文学会に参加。昭和10年代の他の作品に「怒涛」「鯨」「石榴の花」などがあり、戦後の作品に「過去の人」「党員作家」「鯨工船」などがある。戦後は評論家として「広津和郎」なども執筆、日本原水協、日朝協会などでも活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「間宮茂輔」の意味・わかりやすい解説

間宮茂輔
まみやもすけ
(1899―1975)

小説家。東京生まれ。本名は真言(まこと)。慶応義塾大学文科予科中退後、鉱山、灯台などで働き、その体験が後の作品に生かされる。『不同調』に参加するが、変貌(へんぼう)する漁村を描いた『朽ちゆく望楼』(1929)を発表し、プロレタリア文学運動に近づき、『文芸戦線』を経て、ナップに加わる。入獄を経験したのち、『人民文庫』に参加し、『あらがね』(1937~38)を連載。戦後は民主主義文学運動や平和運動推進に力を尽くした。

[鳥居明久]

『『現代日本小説大系58』(1952・河出書房)』『『日本現代文学全集69』(1969・講談社)』『『日本プロレタリア文学集13 「文芸戦線」作家集(4)』(1986・新日本出版社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「間宮茂輔」の解説

間宮茂輔 まみや-もすけ

1899-1975 大正-昭和時代の小説家。
明治32年2月20日生まれ。「不同調」の同人をへて,「文芸戦線」,ナップにくわわる。昭和8年投獄され,10年転向して出獄。12年から「人民文庫」に長編「あらがね」を連載。戦後は新日本文学会,日本民主主義文学同盟に所属。昭和50年1月12日死去。75歳。東京出身。慶応義塾中退。本名は真言(まこと)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「間宮茂輔」の解説

間宮 茂輔 (まみや もすけ)

生年月日:1899年2月20日
大正時代;昭和時代の小説家
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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