日本歴史地名大系 「間瀬村」の解説
間瀬村
まぜむら
近世に入ると三条藩稲垣氏領となり、元和六年(一六二〇)の三条御引渡郷村帳(幸田重寛氏文書)では高一一〇石八斗余。慶安二年(一六四九)村上藩領となり、貞享元年(一六八四)の同藩領分郷村高辻帳では高五二石一斗余。宝永六年(一七〇九)幕府領となる。正徳元年(一七一一)高田藩領、寛保元年(一七四一)陸奥白河藩領、文政六年(一八二三)以降伊勢桑名藩領。幕末には高一五三石四斗余となっている。明暦三年(一六五七)の検地帳(鳳気至家文書)によれば田一町九反五畝余・新田三町六反一畝余・畑一九町七反二畝余、屋敷名請人一一九人。また名子三七人が記され、うち二二人は屋敷のみ保有し耕地をもたない。同年の村絵図(同文書)では家数は本村八五・新村一四六・高屋一七とある。新村はもと
間瀬村
まぜむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報