関税問題(読み)かんぜいもんだい(その他表記)Guān shuì wèn tí

改訂新版 世界大百科事典 「関税問題」の意味・わかりやすい解説

関税問題 (かんぜいもんだい)
Guān shuì wèn tí

外国との商品の輸出入時に課せられる関税は,おくれて工業化を目ざす国家の経済にとって重要な意義をもっている。元来,独立国は,自国の関税を自主的に決定する権利(関税自主権)を有するとされるが,後進国や植民地に近い国々では,しばしば相手国から強制されて税率を協定する例がみられた。歴史上重要なのは中国における場合である。

 1840年(道光20)のアヘン戦争の結果,中国はイギリス,フランス等の各国との条約により,5港の開港と関税率のほぼ従価5%への固定,さらに最恵国待遇条項の挿入を認めた。この結果,欧米諸国の安価な商品流入がしだいに増大していった。さらに19世紀末から20世紀初期の政治変動の中で,関税は中国社会経済の半植民地性を象徴するものとなっていった。その指標は,(1)外国人税務司制度(総税務司)の発展,(2)関税の実質5%以下への低下,(3)清朝政府,北京政府および国民政府による,関税収人を担保とする公債の発行等である。

 他方,中国における民族工業企業の発展とナショナリズムの展開は,半植民地性の象徴的存在たる関税を問題とするにいたり,ここに〈関税問題〉が生じた。1925年の北京特別関税会議において,北京政府は財政収入の増大を目ざして関税自主権および七種差等税率の採用を主張した。これに対し,日本は西原借款などの外債整理を,イギリスは内地通過税の撤廃を問題とした。この会議は内戦のため成果をみなかったが,南京国民政府の承認とともに欧米諸国は事実上,中国の関税自主権を承認し,31年から国定税率が実施された。33年には税率はいっそう高められ,関税政策は財政収入の面からばかりでなく,国内産業保護の性格をももつものになった。しかし,これは日本との間に矛盾を激化させ,34年に税率は一部改訂された。また,税務司制度によって外国に掌握されていた税関行政もしだいに国民政府によって行われるようになった。このように,関税問題は,単に輸出入税率問題だけでなく,一国の産業の発展,ナショナリズム,政府財政等と不可分の関係にある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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