改訂新版 世界大百科事典 「総税務司」の意味・わかりやすい解説
総税務司 (そうぜいむし)
Inspector General of Customs
Zǒng shuì wù sī
第2次アヘン戦争直後から中華人民共和国の成立まで,税関の外国人税務司Foreign Inspectorateを統轄した官職で,太平洋戦争勃発までは歴代イギリス人がこの任に就いた。英清南京条約以降,中国は各国と通商関係を開くが,海関行政は確立されておらず,関税徴収をめぐり外国との摩擦が生じた。1854年(咸豊4)上海小刀会の乱で県城が占拠されると,イギリス,アメリカ,フランス3国の領事が上海道台に代わり徴税事務を行った。これが関税管理委員会の設置へと進み,外国人が海関事務を執る外国人税務司制度の基となった。天津条約では外国人税務司を全開港場に置くことが約され,同年上海欽差大臣何桂清(1816-62)は,イギリスの関税委員であったレイHoratio Nelson Layを初代総税務司に任命し,1861年に総理衙門が設立されると,恭親王は改めてレイを総税務司に任命した。63年にはハートRobert Hartが2代目総税務司に就任した。65年(同治4)に事務所が上海から北京に移されたが,彼は1907年(光緒33)に引退するまで,海関行政のみならず,清朝政府の外国借款を仲介するなど外交手腕を発揮した。総税務司は,総理衙門の下で海関事務を統轄し,税務司の任免権を持っていた。日清戦争後,ロシア,フランス等が総税務司の地位を獲得しようとしたため,イギリスは1896年の英独借款の契約に当たり完済まではその地位を変更しないことを約させ,さらに98年イギリス公使マクドナルドC.MacDonaldは総理衙門に対し,イギリスの対中国貿易が他国をしのぐ限り,総税務司にはイギリス人を任用すべき旨を約させた。かくして,総税務司署は中国政府の行政機関でありながら,イギリスを中心とする国際的な海関管理機構となった。
総税務司は1901年以降は外務部に属し,06年中央に海関事務を専管する税務処が設けられるに伴い,しだいにその権限を制限することが試みられた。しかし,11年の辛亥革命後は,外債返済および賠償金支払いのため,関税収入はそれ以前の中国側海関監督の手から各港外国人税務司の管理に移され,香港上海銀行などの関税保管銀行の総税務司口座に払い込ませ,収支ともに管理するようになった。ハートの後,アグレンF.Aglen(1911-27),エドワーズA.Edwardes(1927-29),メイズF.W.Maze(1929-41)と交代するが,1920年代に関税自主権が回復するに伴い,国民政府は財政部内に税務総署を設けて関税事務を治め,28年南北統一後はそれを関務処に統轄させた。これらの過程で,人事権は中国側の手に移るなど総税務司の権限も制限され,もっぱら関税の徴収をつかさどることとなった。
執筆者:浜下 武志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報