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総税務司 そうぜいむしzong-shui-wu-si; tsung-shui-wu-ssǔ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

総税務司
そうぜいむし
zong-shui-wu-si; tsung-shui-wu-ssǔ

近代中国の税関 (→海関 ) 行政の外国人長官をさす。咸豊8 (1858) 年の天津条約付属協定で,外国人が中国税関行政を掌握することとなり,北京に総税務司,各税関に税務司が任命された。総税務司は関税徴収事務のほかに,賠償金担保としての関税収入の管理と支払い,さらに民国以後には関税処分権をも掌握し,中国の貿易,財政,外交の面で大きな発言力をもった。歴代の総税務司にはイギリス人が就任したが,特に第2代の R.ハートは在任期間が長く,清朝の外交,内政をも左右した。第2次世界大戦後初めて中国人が任用され,人民共和国成立後,中国人による自主的な税関管理が確立された。

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世界大百科事典 第2版の解説

そうぜいむし【総税務司 Inspector General of Customs】

第2次アヘン戦争直後から中華人民共和国の成立まで,税関の外国人税務司Foreign Inspectorateを統轄した官職で,太平洋戦争勃発までは歴代イギリス人がこの任に就いた。英清南京条約以降,中国は各国と通商関係を開くが,海関行政は確立されておらず,関税徴収をめぐり外国との摩擦が生じた。1854年(咸豊4)上海小刀会の乱で県城が占拠されると,イギリス,アメリカ,フランス3国の領事が上海道台に代わり徴税事務を行った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

総税務司
そうぜいむし
Inspector General of Customs

旧中国で全国の海関税務司を統轄した官職。1853~54年、上海(シャンハイ)小刀会の乱で江海関が閉鎖されると、イギリス、アメリカ、フランス三国領事は関税を代徴し、上海道台の呉健彰(ごけんしょう)に三国で構成される海関管理委員会の設置を認めさせ、外国人による海関管理が開始された。59年にイギリス人レイが初代総税務司となり、61年に総理各国事務衙門(がもん)(総理衙門)が設立されると、レイが改めて任命された。63年にはロバート・ハートが引き継ぎ、1907年の休暇帰国まで全国の海関税務司を監督するとともに、徴税部、海事部、工務部の三大海関業務を統轄した。また、中国政府の対外借款の仲介などにも重要な役割を果たしている。ハートに次いで、アグレン、エドワーズ、メイズとかわるが、すべてイギリス人が任用された。
 総税務司は、当初は総理衙門に属し、1901年以降外務部、06年以降関務署の管轄となった。関務署の海関監督権は、〔1〕各地海関監督(中国人官吏)に直接に命令する、〔2〕総税務司を通じ間接に各地海関税務司(外国人税務司)に命令する、という二系統で行使された。すなわち、海関監督が関務署にのみ、また海関税務司は総税務司にのみ服する二重制度であった。ただし、関税自主権回復の過程で、総税務司の権限は縮小され、人事権も中国側に帰した。また、総税務司は、海関行政の中枢機関である総税務司署を総攬(そうらん)していた。同署は、中央に、総務局、中国局(中国文報告を審査し、中央政府と総税務司との往復公文を取り扱う)、統計局、審計局(各地海関の会計検査)、ロンドン局(在ロンドン。海関用品の購入、海関員の採用試験、休暇中の海関員に対する給与支払い)、人事局をもち、地方の各海関に、総務課、秘書課、会計課、統計課、監査課、検査課の各部局をもつ一大機構であり、中国の行政・財政のなかで大きな比重を占めていた。[浜下武志]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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