日本大百科全書(ニッポニカ) 「闇の力」の意味・わかりやすい解説
闇の力
やみのちから
Власть Тьмы/Vlast'T'mï
ロシアの作家L・トルストイの戯曲。1886年発表、88年パリで初演。五幕からなり、作者の処女戯曲ではありながら、代表作に擬されている。実際のトゥーラ県の犯罪事件にヒントを得て書かれ、無知と貧困の支配する当時の農村における近親相姦(そうかん)、私生児殺害をテーマとし、人間を誘惑、堕落させる闇の力と、同じ人間の魂のなかにある神の力との、神の力にあらがう闇の力の粗暴さを描く。闇とは、人間の本能のきわめて破壊的なもの、諸悪の根源ともいうべき性欲そのものをさす。題名の「闇の力、あるいは爪(つめ)が一本罠(わな)にかかっても、小鳥の命はもうおしまいだ」が示すように、作者は、人間がいかに弱い者であるかということについて、過ちが過ちを生み、ついには抜き差しならぬ破滅に陥る過程を如実に写し出し、しかしながら究極には、汚濁に満ちた魂ではあろうとも、浄化、救済せずにはおかぬ神の力の偉大さをたたえる。厳しい検閲を経て発表された初版は3日間で25万部を売り尽くしたと伝えられる。
[中村 融]
『米川正夫訳『やみの力』(岩波文庫)』