デジタル大辞泉
「本能」の意味・読み・例文・類語
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ほん‐のう【本能】
〘 名詞 〙 ( [英語] instinct の訳語。西周の造語か )① そのものが本来備えている性質・能力。多く、生物が生まれつきもっている衝動的、感覚的なものをいう。[初出の実例]「意味を現はすのが文字の本能であるべきに態々意味の現はれない様に書いてある」(出典:食道楽‐冬(1904)〈村井弦斎〉三二四) 「ぼんやりした、補捉し難い本能(ホンノウ) のやうなものの外には」(出典:青年(1910‐11)〈森鴎外〉二二) ② 動物が経験や学習なしに外界の変化に対して行なう、先天的に備わった一定の行動様式。普通、種によってその反応は一定する。[初出の実例]「英インスチンクト、〈略〉爰に本能と訳す、鳥獣の自ら知らずして智巧あるの類を云ふ」(出典:生性発蘊(1873)〈西周〉二)
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ほんのう 本能 instinct(英),Trieb(独)
生活体に内在し,行動を引き起こす生得的なメカニズム あるいは衝動を本能という。このことばは古くから使われている日常語であると同時に,心理学およびその関連領域で,さまざまな研究者が専門用語として使用してきた。このため,その定義とそれが指し示す範囲は,多様なものとなっている。
【進化論における本能】 ダーウィン Darwin,C.は『種の起原On the Origin of Species by Means of Natural Selection』(1859)において,「われわれ人間であれば経験を必要とする行為だが,動物(とくに幼い個体)が経験なしに行ない,その行為の目的を知ることなしに多くの個体が行なうものは,通常,本能的といわれる」と述べているが,それに続けて「しかし,これらの特徴は普遍的なものではない」と記している。また,進化論の立場から,野生動物に見られる本能は自然選択に基づくもので,家畜の本能は人為選択 が加わったものだと論じた。
【19世紀末~20世紀初期アメリカ心理学における本能】 ジェームズ James,W.(1890)は,本能とは,結果についての見通しをもたず,事前訓練もなしに,特定の目的を達するように行動する能力であるとした。彼は,本能を衝動impulseによって引き起こされる盲目的な行為であるが,その結果により目的的行動へ変化するとして,そうした経験の関与した行動も本能に含めた。彼が挙げた人間の本能行動 のリストは,吸啜や把握のように新生児に見られる単純な運動から,羞恥や嫉妬のような感情まできわめて多岐にわたっている。
こうした本能論を受け継いだのが,マクドゥーガル McDougall,W.(1908)である。彼は,本能とは生得的な精神物理的傾向性innate psycho-physical dispositionであり,特定の対象に注意を向け(認知),特定の情緒的興奮を経験し(感情),特定の行為に従事しようと試みる(意志),という三つの側面をもつと論じた。彼が挙げた主要な本能は,逃走,拒否,好奇,闘争,自己卑下,自尊,親的行動,生殖,群居,獲得,制作であり,たとえば,闘争本能には恐怖,拒否本能には嫌悪といった感情が付随する。マクドゥーガルは,本能概念を人格形成過程や社会制度にまで拡張し,多方面にわたって積極的に発言した。たとえば,社会改造によって人間本来の生活条件に近い状態を取り戻し,本能の充足を満たすことが,機械化・工業化された社会が引き起こしている精神的問題の解決のために必要であると訴えた。そのような本能論を「本能は存在するか?」と題した論文(1919)で指弾したのがダンラップ Dunlap,K.であった。彼は,本能的な行動は存在するし,それを分類することの意義は認めるが,行動の説明概念として本能を語ることはやめるべきだと主張した。
【精神分析学における本能】 精神分析学の創始者であるフロイト Freud,S.は,本能(衝動Trieb )を心の相互作用(精神力動psychodynamics)の重要概念として位置づけたが,その理論は,時期によって異なっている。初期の理論(1905)では,自我の安定を求める自我本能ego instinctに対し,安定を揺るがす衝動として性本能sexual instinctが仮定されており,そのエネルギー がリビドーlibidoとよばれた。後期の理論(1920)では,愛・生殖・生産に寄与する生の本能すなわちエロスErosと,破壊・衰退・死滅をめざす死の本能すなわちタナトス Thanatosの相克が描かれ,そのそれぞれが自我と外界対象に向けられるとした。すなわち,自己愛,他者愛,自己破壊,他者破壊の本能である。
【学習心理学における本能】 条件反射学を打ち立てた生理学者パブロフ Pavlov,I.P.(1927)は,本能は反射reflexにすぎないとしたイギリスの哲学者スペンサーSpencer,H.の説に同意を示している。一般に,本能は反射よりも複雑かつ系列的で,生体の内部状態に依存する全身的な行動であるとされるが,パブロフはこれらの特徴を有する反射も存在すると反例を挙げ,本能とされている行動と普通の反射との間に明確な一線を引くことはできないと喝破した。さらに,本能と反射が同一の対象を意味するなら,より科学的に定義されている反射概念を用いるべきであると述べ,本能概念は不要だとした。
ワトソン Watson,J.B.は,その代表的著作『行動主義Behaviorism』(1930)の二つの章を「人間に本能があるか」と題した論考に充てている。彼は,人間の行動を,学習によらない行動unlearned behaviorと学習された行動learned behaviorに区分し,心理学者や生物学者が本能とよんでいるものは,前者のリストには含まれていないと主張した。したがって,「本能などなく,心理学用語として必要ではない」と断じ,いわゆる本能行動は学習された行動,つまり訓練の結果だと明言した。彼はジェームズが挙げた本能のリストを強く批判し,また乳幼児の行動を観察して,生得的な反射だとされている行動にも習慣の要因が関与していることを指摘した。
いわゆる本能行動に経験が大きく影響することを示した研究としてよく言及されるものに,郭任遠Kuo,Z.Y.(1930)が行なったネコのネズミ殺しの実験がある。離乳後単独飼育したネコは約半数しかネズミを殺さなかったのに対し,親ネコのネズミ殺しを見せたネコはほとんどがネズミを殺すようになり,ネズミと一緒に育ったネコはほとんどネズミ殺しをしなかった。
行動主義の立場に立つ学習心理学者は経験の役割を強調するあまり,行動を本能的とよぶことすら拒否する傾向にある。しかし,スキナー Skinner,B.F.(1974)は生得的行動のうち反射よりも複雑で柔軟なものを本能的行動とよぶことは認めており,行動の説明概念として本能を用いること(たとえば,鳥には営巣本能があるから巣を作るといった同語反復的説明)を否定しているだけである。これは前述のダンラップの立場に近いといえる。スキナーの助手であったブレランド夫妻Breland,K.,& Breland,M.(1961)は動物芸を披露するビジネスを始めたが,動物を訓練しているときに,しばしば困難に直面した。たとえば,コインをくわえて貯金箱に入れるという芸を仕込んだブタは,やがてコインを地面に落として鼻先で擦りつけ跳ね上げるという無駄な行動を繰り返し行なうようになった。餌を鼻先で掘り出すという本能的行動の方向に,学習された行動が流された結果であると彼らは考え,こうした現象を本能的漂流instinctive driftとよんだ。これは,スキナーが否定した本能による行動の説明の一種であるが,彼が指摘したような同語反復にはなっていない。なお,ブレランド夫妻の発見は,学習行動に及ぼす本能の影響,すなわち学習の生物学的制約biological constraintを指摘したものであって,本能行動に及ぼす学習経験の影響を指摘したそれまでの研究者(たとえば,ワトソンや郭任遠)の視点とは異なっている。
【動物行動学における本能】 ハインロートHeinroth,O.(1910)は,動物の本能行動を,種に特有な衝動行動arteigene Triebhandlungと表現し,その研究を推進した。また,クレイグCraig,W.(1918)は,本能行動を欲求行動appetitive behaviorと完了行為consummatory actに分け,前者は経験やその場の環境に応じて変容するが,後者は遺伝的に規定された種に特有な固定的行動であるとした。
ローレンツ Lorenz,K.Z.(1932)は,遺伝協応inherited coordinationとよばれる遺伝的に決定された固定的運動パターンを本能行動とし,行動に快感情が付随する点が反射とは異なっており,この快感情こそ本能行動の目的であるとした。彼の弟子であるティンバーゲン Tinbergen,N.(1951)によれば,本能とは内的要因と外的刺激に従って連鎖的に解発される諸活動の階層的機構である。彼は本能行動を,外的刺激により一度解発されると内的な動機づけ 要因が統制する固定パターンfixed patternと,外的刺激に応じて運動の方向や反応の形を調整しつつ進む一連の行動である走性taxisとに分類した。ローレンツやティンバーゲンは,本能行動は進化によって獲得された適応様式が成熟に伴って発現したものであるが,学習行動はその個体の固有経験によって変容するものだとした。したがって,学習の機会を与えない隔離実験isolation experimentによって純粋な本能行動を見いだすことができることになる。たとえば,ティンバーゲン(1942)は,隔離飼育されたトゲウオ は,通常飼育された場合と同じように,腹部の赤い模型に対して攻撃行動を示したことを報告している。しかし,レーマンLehrman,D.S.(1953)は「隔離されているかどうか」ではなく「何から隔離されているか」が重要だと主張し,この例の場合,トゲウオはガラスや水面に映った自らの姿を見た経験があると指摘した。そのうえで,成熟と学習を対置するローレンツやティンバーゲンの本能論は,行動発達における遺伝と経験の複雑な相互作用を軽視していると論難した。
【進化心理学における本能】 進化生物学の観点からヒトの心や行動を考える進化心理学evolutionary psychologyの有力な研究者であるトゥービーTooby,J.とコスミデスCosmides,L.(1992)は,ヒトは問題を柔軟に解決するための複数の本能を進化の過程で有するようになったと論じている。それは,自然選択によってもたらされた適応的な心のモジュール であり,顔認識,空間関係,道具使用,恐怖,情動知覚,育児,友情など多くのモジュールが仮定されている。また,ピンカーPinker,S.は,『言語を生みだす本能The Language Instinct』(1994)や『人間の本性を考えるThe Blank Slate』(2002)などの一般向けの著作で,言語能力をはじめとする認知能力の生得性を論じて経験論批判を展開している。
〔中島 定彦〕
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本能 (ほんのう) instinct
目次 本能概念の変遷 本能への科学的アプローチ 現代の本能概念 一般には動物のそれぞれの種に固有で,合目的性のある経験を必要としない生得的な行動(すなわち本能行動)を生む内的な傾向ないし力をいう。ただし西欧語でも,その訳語としてつくられた日本語でも,その内容はきわめて多義的であり,定義は人によってさまざまに異なる。20世紀における生理学,心理学,動物行動学の発展につれて,この概念は大きく変化を遂げ,今日では厳密な学問用語としてはほとんど用いられなくなっている。
本能概念の変遷 英語のinstinctがラテン語のinstinctusすなわち〈内から駆り立てるもの〉に由来したことからもうかがえるように,初期の用法は理性によって抑えがたい不合理な内的衝動というところに重点があり,〈理性的な思考〉に対する〈盲目の本能〉といった表現が用いられた(英語圏でのこういう用法は15世紀から始まる)。S.フロイトのいう二大本能〈性本能〉と〈自己保存本能〉ないし〈生の本能〉と〈死の本能〉はこの系列に属するものである。英語ではinstinctが使われるが,もともとフロイトはドイツ語のTriebを使っていたので,この場合はむしろ衝動 ないし欲動 と訳すのが適切であろう。
一方,それとは別に,必ずしも生物に限らず自然が人知を越えたふるまいをすることに対して,その理由づけとして〈本能〉をもちだす用法があった。その後,16世紀以来19世紀のファーブル などに至るヨーロッパの博物学的研究は,動物が生まれながらにもつ驚くべき行動能力を次々と明らかにしていった。例えば,カリウドバチ の狩猟,ハタオリドリ やクモの造巣,サケや渡り鳥の帰巣,アリやミツバチ の集団生活といった現象である。当時の博物学者や心理学者は,これらの行動に対して,それぞれ狩猟本能,造巣本能,帰巣本能,群居本能をもって説明した。この3番目のものが,今日の一般的な用法の原形である。この場合の〈本能〉には,動物の行動の生得性・合目的性・精巧さを生みだす能力に対する驚き,賞賛に力点があり,本能を神の設計のあかしとみる人々もいた。
しかし,このような〈本能〉概念は,実のところ説明すべき事象を単に〈本能〉ということばに置き換えた一種のトートロジー にすぎないうえ,現象の数だけ本能をかぞえあげることができるので,科学的用語としてはほとんど無意味である。そこで〈本能〉を定義するさまざまな試みがなされることになった。例えば近代生物学の祖C.ダーウィンは,《種の起原》第8章〈本能〉において〈経験なしに,その目的を意識せずに,同一種の多くの個体によってなされる行動〉を本能行動と定義し,他の身体的特徴と同様に遺伝し,自然淘汰の対象となるものとみなした。これに対してW.ジェームズやモーガン Cowny Lloyd Morgan(1852-1936)などの心理学者は本能を生得性と自発性によって特徴づけながらも,その可変性を強調し,基本的に本能を知的行動の前駆形態とみなす立場をとった。またマクドゥーガルWilliam McDougal(1871-1938)は機能的観点から13の上位本能に分類し,それを動物の心に生じる情緒的な興奮と関連づけた。例えば逃走本能と恐怖,闘争本能と怒り,親本能と慈愛といったぐあいである。
本能への科学的アプローチ しかしながら,〈本能〉を生物学的な問題として扱おうとすれば,このような本能の定義や分類よりもまず,〈本能〉と〈本能行動〉との関係を明らかにする必要があった。すなわち〈本能〉がいつ,なぜ,どのようにして〈本能行動〉を引き起こすのかという問いに答えることである。この問いに対する科学的アプローチは二つの方向から始められた。まず,第1は生理学的なアプローチで,J.ロイブ,I.P.パブロフなどは本能行動を,刺激に対する機械的反応である反射,走性,キネシスなどの連鎖によって説明しようとした。この立場は窮極的には〈本能〉の存在そのものを否定することになる(これに対して,行動主義的な立場をとる心理学者は,行動の可変性に重点をおき,生得的という意味での本能行動を否定することになる)。もう一つは,O.ハインロート,W.クレーグらの先駆者を経て,K.ローレンツ,N.ティンバーゲンに至る動物行動学的なアプローチであった。彼らの研究は動物における行動を一つの進化的な形質とみなし,観察と実験を通じてその構造,発現,意味,進化を包括的に明らかにするものである。その成果については〈行動 〉の項目を参照されたい。
現代の本能概念 今日では〈本能〉ということばは文学的な表現においてはともかく,学問的な意味では用いられなくなりつつある。それは動物行動学が明らかにした次のような事実に依拠している。(1)マクドゥーガルのいうような意味での〈親本能〉〈性本能〉に対応する単一の行動は存在せず,あるのは抱卵,抱雛(ほうすう),給餌,求愛,交尾といった具体的な目標をもつ行動だけである。(2)求愛といった単一の行動もいくつかの行動成分からなり,その一部は純粋に生得的であるが,一部は訓練ないし学習によって可変的であり,本能か学習かという二分法は意味をなさない。(3)内的衝動によるか刺激によるか,すなわち本能か反射かという二分法も用をなさない。なぜなら,行動の解発には,内的な欲求とリリーサー という形での外的刺激が軌を一にすることが不可欠だからである。(4)行動の合目的性をもって本能を特徴づけることも無理がある。不自然な対象や状況に対して動物はしばしば不適切な行動をみせ,学習による修正の限界が露呈されるからである。
以上のような理由で今日では科学的な文献では〈本能〉や〈本能行動〉という表現を避けるようになっている。カエルが長軸方向に動く細長い物体に跳びつく反応や,カモメの雛が親鳥のくちばし をつつくといった行動は,〈本能行動〉と呼んでさしつかえのない,遺伝的・機械的な単一行動であるが,従来の用法との混乱を避けるため,〈種特異的な衝動行動〉,ないし〈生得的行動〉と呼ぶのがふつうである。 執筆者:奥井 一満
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本能 ほんのう instinct
種に特有な一連の生得的(遺伝的)行動の機制を意味し、本能に基づく行動を本能的行動という。反射reflex、動性kinesis、走性taxisも生得的行動であるが、反射はおもに身体の部分的行動をさし、本能的行動は全体的行動をさしていう。動性、走性は全身の行動であるが比較的単純な反応であり、これらからも区別される。また、反射、動性、走性は瞬時の環境状態に一義的に依存する反応であるが、本能的行動は、いちいちの反応が状況に可塑的に応答しながら固定した様式をもつ、一連の反応系列 として現れる場合をさしている。
[小川 隆]
当初、ダーウィンは本能の生得性について、経験によらない点を強調し、人および動物が幼児期に示す種に特有な行動の記述を重視したが、のちには行動が自然淘汰(とうた)の原理に従うという見地にたちながら、成長・発達と関係した習得行動との関連を無視できなくなっている。比較心理学 は当然、本能的行動を扱ったが、その機制、また学習・習得行動との区別などについて二つの見解の流れがみられる。一つは、「モーガンの公準」Morgan's canonに従った機械論的見解で、本能を部分的な反射の連鎖chained reflexとして扱う立場であり、これはアメリカの行動主義に継承されている。行動主義では習得的学習行動が重視され、反射連鎖以外の生得性を行動に認めない傾向にあった。これに対し、経験から独立な本能の自発性を認めた立場がマクドゥーガルなどに代表される。この立場では、全体的行動はそれ以上分割されないものであり、本能はその機制を説明するものであっても、それ自身は説明されない概念として規定されている。マクドゥーガルは人間行動の推進力として、逃走、拒否、闘争、好奇、屈従、誇示、性、群居、暗示、同情、模倣など個人的・社会的行動にわたって十数種の本能を認めている。フロイトの精神分析にも同様の見解があり、結合を求める性本能エロスErosとこれを破壊する死の本能タナトスThanatosとが区別されている。
しかし、たとえば動物が争うのは闘争本能があるからであるというのでは、同語反復であって説明にはならない。また、本能行動そのものの習得性が条件づけの実験から明らかになった。クオZ. Y. Kuoは、生後まもない子ネコを隔離して飼育し、親ネコがネズミをとるのを見せない場合と、通常に飼育し、これを目撃した場合とを比較し、成長後、ネズミを殺す行動が抑えられることを示したし、逆に、電撃条件づけを通じて、ネズミを恐れる行動を発生させることの可能なことを明らかにした。
[小川 隆]
本能的行動の生得性・自発性についての実証的研究はヨーロッパを中心にローレンツ、ティンバーゲンら比較行動学者によって行われ、その生起条件が追究されている。たとえば、伝書鳩(ばと)の帰巣本能は半世紀前までは不可解であったが、現在は、刻々の太陽の位置と体内の生理的周期変化との連動した機制から説明されようとしている。
比較行動学によると、本能的行動は反射の連鎖ではないが、しかも、一定の反応型fixed action patternを示し、これを解発する一定の刺激が存在する。たとえば、イトヨの雄の腹部にある赤い部分は、テリトリーteritory(縄張り)に入ってきた他の雄に対する攻撃行動を解発する。これを解発子releaser、記号刺激sign stimulusなどという。一連の本能的行動は、解発子が次々に定まった反応型を解発する系列とみられるが、これが可能になるために、生体の内部に生得的解発機構innate releasing mechanismが存在するからであると想定する。解発子は、二重の意味をもつことがある。イトヨは自らのテリトリーに入ったものを攻撃するが、同じイトヨが相手のテリトリーに入ると相手を見て逃走する。赤い腹部は状況によって攻撃・逃走を解発する。もし、2匹のイトヨがテリトリーの境界で出会うと、倒立した姿勢で砂を掘る転位行動displacement behaviorを生じる。解発子が遮断され、本能的行動が遂行されないと、解発子の閾値(いきち)が低下したり、解発子のない定まった反応型、すなわち真空行動vacuum activityが出現する。
本能的行動は、解発子を選択・探索する欲求行動appetitive behaviorと終了させる完了行動consummatory behaviorとに大別されたり、内的要因に依存する固定性と外的要因に制御される可塑性とが区別される。解発子となるものが、生後、ある時期に任意に定まる場合があり、これを刷り込みimprintingという。たとえばアヒルの幼鳥は、生後数時間の臨界期に動くものを追う行動を示す。動くものは親鳥に限らず、他の動物、物体でもよい。
本能的行動と習得的行動との関係は複雑で、これを確かめることが課題でもある。たとえば、鳥の発声は本能的行動であるが、幼鳥の隔離飼育を時期・期間を変えて行うと、習得の機会の相違によって発声の様相が変わることなども確かめられている。
[小川 隆]
『N・ティンバーゲン著、永野為武訳『本能の研究』(1957・三共出版)』
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本能 ほんのう instinct
種に特有な行動傾向で,生得的,定型的な特徴をもち,走性や反射に比べて複雑な運動のパターンを示すもの。本能の概念は歴史的に変化しており,従前は生得の行動能力を意味する実体的な説明概念であったが,最近では生得的,1次的動機づけ,またはそれらに基づいて解発される行動のパターンなどを意味する記述概念となってきている。本能の分類は多く試みられているが,決定的なものは得がたい。 W.ブントらの自己保存の本能,種族保存の本能の分類は最も単純なもので,しばしば用いられる。また S.フロイトの精神分析学では,自己および種族保存に関する生 (エロス) の本能と攻撃的,破壊的な死 (タナトス) の本能が区別される。本能的行動の機構に関して,動物の習性行動を取扱う比較行動学の研究から多くの知見が得られている。それによれば,本能的行動は外的要因と内的要因の両者によって規定されている。外的要因とは本能的行動を解発する特定の刺激 (信号刺激ないし解発刺激) であり,それが生活体に生得的にそなわった構造的・機能的機構 (生得的解発機構) を作動させる。内的要因とは飢え,渇き,性的動機づけなどに伴う各種の代謝物質やホルモンの体内レベルの変動に基づいて中枢神経系に蓄積されたある種のエネルギーであり,それが解発刺激と相まって,生得的解発機構の活動を解放させる。そのほかに,本能的行動に関して比較行動学が指摘する重要な概念に転位行動と刷り込み (インプリンティング) がある。転位行動とは,攻撃と逃避のように両立しがたい2種の本能的行動が抗争する場合,トゲウオの砂掘りのようにそれらとは無関係な別の生得行動が生じることであり,刷り込みとは,家禽類の雛の親への追随行動のように,一見生得的にみえながら,生後の早い特定の時期に習得され,不可逆的に定着する学習をさす。
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本能【ほんのう】
動物がそれぞれの種に固有の個体保存・種族維持の目的に適応した生得的行動(本能行動)を行うための内的な要因。本能行動は,原則として経験や学習の要素を全く含まず,一連の連鎖反応的性格をもち(生理学的には反射の連鎖によって説明される),融通性に欠けるため,環境の変化によっては事態に適応できない場合も生じる。たとえばトンボがガラス面に産卵したり,トゲウオの雄が下面の赤い模型にいどみかかったりするなど。しかし,多くの本能行動には,ミツバチの採餌の仕方や鳥のさえずりにおけるように,部分的に学習の要素が介在しており,単純な本能か学習かという2分法はあまり意味をもたない。歴史的には,W.ジェームズやマクドゥーガルによる本能の定義や分類は注目すべきものではあるが,現在では彼らのいう意味での本能の実在は否定されており,心理学において,ある種の型の行動を記述する便宜的な記述概念として用いられるのみで,生物学では〈本能〉を〈衝動〉,〈本能行動〉を〈生得的行動〉というのが一般的である。
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本能〔映画〕
1966年公開の日本映画。監督・脚本:新藤兼人。出演:観世栄夫、乙羽信子、東野英治郎、小川吉信、島かおり、西内紀幸、伊藤くにえほか。第17回ブルーリボン賞助演女優賞(乙羽信子)受賞。
本能〔曲名〕
日本のポピュラー音楽。歌は女性シンガーソングライター、椎名林檎。2000年発売。
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世界大百科事典(旧版)内の 本能の言及
【欲動】より
…S.フロイトによって用いられた精神分析的概念。本来ドイツ語のTriebの訳語であり,〈本能〉とも訳されているが,本能とは区別すべきである。フロイトは欲動を〈心的なものと身体的なものとの境界概念〉と述べ,心理学的な意識的体験としての〈欲求need〉や〈欲望desire〉に比して,生物学的な基盤を考慮した概念として用いる一方,〈本能〉よりは心理的な概念として用いている。…
※「本能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」