翻訳|incest
近親血縁関係者による性的関係をさす。ほとんどの人類社会において禁忌とされているが,古代エジプト,ハワイ,インカなどの王族間では兄弟姉妹婚が行われていた。たとえばプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世は,数代におよぶ兄弟姉妹婚の末裔であり,自分も弟を夫としていた。しかし,このような支配者の近親婚は,その社会の一般的習俗を反映したものではなく,むしろ禁忌を超越する存在としてその神聖さを強調し,王室の血筋の純粋さを保つために行われたと解されている。
近親相姦禁忌(インセスト・タブー)の規定がどのようにして形成されたかについては,従来からさまざまの推測がなされてきた。19世紀の進化主義人類学者は,人類史の初期において近親相姦が通常行われていて,その結果,親子間の性的結合を含む乱婚や,兄弟姉妹間の性的結合などに基づく集団婚が存在したと考えた。しかしこの説は,現存の未開社会でその実例が見いだされないこと,および霊長類などにおいてすでに,近親相姦をある程度さけるような社会的仕組みや回避の事例が観察されていることから疑問視されている。アカゲザルやニホンザルなど多雄多雌集団を形成している種においても,かなりのオスが出生集団を離れて他の集団に移り,またとどまっている場合でも母子,キョウダイ間の交尾はそれほど多くないという報告もある。単雄多雌集団をつくる種でも,成熟したオスが出生集団を出ることで,母子やキョウダイ間の相姦が避けられている。テナガザルでは発情期を過ぎても単雌単雄のつがい関係が継続し,子は成熟すると親の集団を離れることから,母子,父娘間とも相姦が避けられていると推測される。もちろんこれら言語を欠くサルの事例を,文化的な規則の形で禁じている人間の場合と同列において論じるのは危険であるが,近親相姦禁忌が人類発生後形成された独自の制度であるとは考えがたい。したがって,人間はもともと近親相姦を行っていたが,それがなんらかの理由で禁じられるようになったという,次のような諸説は検討の余地があろう。
まず遺伝説によれば,人類はかつて近親相姦を行っていたが,その弊害を作物や家畜の近親交配から知り,人間においても避けるようになったとする。しかし,遺伝学的にみて近親交配が集団全体の存続につねに不利な結果をもたらすとは限らないし,初期の人類がこのような経験的知識をもとに制度をつくりあげたという点にも疑問が残る。次にマリノフスキーらは,近親相姦が家族内の役割関係を乱し,秩序維持を困難にするので禁じられるようになったと考えた。レビ・ストロースはさらに社会全体からみて,婚姻による女性の交換は,家族や親族などの集団が他の集団との紐帯をもつのに最も有効な手段であり,その機会を確保するため近親相姦や集団内の婚姻が禁じられるようになったと主張する。彼はさらに,このような目的のために,動物界ではなんの規制もない生殖という生物学的現象に禁忌と義務という人為的な枠組みを与えることによって,初めて自然から文化への転換が行われたとさえ述べている。これらの社会学的説明は,近親相姦禁忌の機能的重要性を指摘している点でユニークであるが,形成要因の説明としては,適者生存の法則を集団レベルで適用しないかぎり不十分である。また,近親相姦禁忌に人類の社会組織の起源を求めるレビ・ストロースの推察は,上記の霊長類の研究からも明らかなように支持しがたい。
人類は近親相姦を本来回避するという立場の代表として,禁忌は本能に基づくという説がある。これは近親相姦が多くの社会で,口にすることさえはばかるほど嫌悪の感情と結びつき,人々自身が人間の本性であると説明することとも合致している。しかしこの説の弱点は,本能によって抑制されていることに禁忌の規定は不要であり,また近親相姦の範囲や制裁のあり方が多様である点を説明しえないところにある。ウェスターマークは,幼少期をともに過ごした男女間には性的感情が起こりがたいことに,近親相姦禁忌の原因を求めた。この説も,心理的忌避の対象をなぜ規定によって禁じるのかという批判を受けたが,ヒト以外の動物において同様の現象を示す事例が追加されていること,イスラエルのキブツで幼年期をともに過ごした男女の結婚がまれなことや,中国の養女を息子と結婚させる童養媳(トンヤンシー)の旧習が,現代に入り当人どうしの感情や意志が尊重されるようになってから急速に崩壊していく過程の分析などにより再び注目をひいている。
以上から,近親相姦の回避は,人類史の早い時期から生物学的な基盤をもっていて,言語によるシンボル化の助けを借りて文化の次元でさらに独自の展開をみせたものと考えられる。つまり近親相姦禁忌は,ヒトと動物を分ける制度というより両者の接点として意義があるといえよう。禁忌規定が単なる生物学的次元にとどまらないことは,その範囲や違背への制裁方法の多様性にも示されている。たとえばある社会では,同父異母キョウダイ間の性的関係を禁じていても,同母異父キョウダイ間は認めるのに,別の社会ではその逆であったりする。さらに,広くは家族外の親族まで禁忌規定が及ぶこともある。たとえば清代の中国刑法では,服喪親の範囲内の父系親族およびその妻との性的関係は,死刑を含む厳罰に処せられた。違背に対しても,このような法による制裁から,神罰など超自然的方法,あるいは単なる道徳的非難を加えるにとどまるものなど多様である。共同体に災厄をもたらさない場合には,たてまえとしては厳罰が用意されていても,実際には放置されていることも少なくない。姦通と近親相姦の区別にしても社会によって区々である。このように,人類は同一の種に属しながら,近親相姦の扱いに多様性を示しているのは,文化の次元で対処していることの表れである。
→外婚制
執筆者:末成 道男
精神分析学者S.フロイトは,3~5歳の年齢に達した男児は,母親に対して性愛的感情を抱き,それゆえライバルとみなされる父親に敵意を感じるとして,これをエディプス・コンプレクスと名づけた。女児ではこれと反対に,父を愛し母を憎むので,エレクトラ・コンプレクスという。これらの命名はいずれもギリシア悲劇に由来するものであるが,それはフロイトがこの二つの近親相姦コンプレクスを人類に普遍的なるもの,すなわちだれでも幼児期に体験し,やがて無意識の底に抑圧されるものと確信していたからである。フロイトは,この近親相姦コンプレクスが十分に克服されない場合に,神経症,性的異常などの心理的障害がおこると考え,これらのコンプレクスを精神分析学の理論体系の最も重要な礎石とした。このフロイト理論については,深層心理学の中でも賛否両論があるが,この近親相姦願望が成人後に実際に行動化されることはきわめてまれである。
犯罪学の研究によれば,近親相姦には父-娘,母-息子,同胞間などいくつかの組合せがあり,精神遅滞者,精神病者の行為や異常酩酊下の行為のように,認識・判断能力に大きな障害がある場合を除いては,一定の行為者類型が見いだされている。たとえば,娘を性的に乱用する父親はアルコール・薬物中毒者,異常性格者,累犯者などが多く,道徳的な抑制力や規範意識に乏しい人々である。幼い娘の性的乱用は児童虐待の一類型となるし,思春期以後の娘の場合で妊娠の反復や虐待を伴うときは,娘による父親殺しの動機となることが多い。母-息子間の相姦はまれとされているが,母子共生・母子密着の傾向が著しい近年の日本では増加しつつあるという報告もある。同胞間の性交の報告はさらにまれだが,その背景に〈妹の力〉を仲立ちに神と直面する日本的心性を想定する考え方もある。
執筆者:福島 章
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…フロイトは,臨床的経験から導き出された自己の理論を基礎として芸術,文化,宗教を論じたが,このうち《トーテムとタブー》(1913)の中で展開した文化論は,彼自身認めるように大胆な仮説であった。すなわちそれは,原父による独裁と女たちの独占→追放されていた兄弟群による原父殺しと女たちの獲得競争→種族保存のために不可避的に成立する近親相姦の禁止→贖罪と原父の神格化=宗教の起源といった一連のエディプス状況が人類の歴史上現実に起こったとする仮定である。それは文化人類学者たちによって否定されたにもかかわらず,むしろその間の過程の中で,精神分析と文化人類学との活発な学問的交流を可能にしたという大きな意味をもっている。…
…歴史的に性対象の異常とされてきたものには,以下の行為がある。自分自身の肉体を性対象とするオートエロティズム(ナルシシズム),自分と同性を対象とする同性愛,性的に未熟な幼児を対象とする幼児性愛(ペドフィリアpedophilia),老人を対象とする老人性愛(ジェロントフィリアgerontophilia),死体を対象とする屍体性愛(ネクロフィリアnecrophilia),動物(獣,鳥など)を対象とする動物性愛(ゾーフィリアzoophilia,これにもとづく行為が獣姦=ソドミーsodomy),フェティッシュと呼ばれる物品や肉体の一部を性愛の対象とするフェティシズム,親子・同胞と交わる近親相姦など。一方,性目標の異常としては,露出症,窃視症(voyeurism,いわゆる〈のぞき〉),サディズム,マゾヒズム,異性装症ないし服装倒錯(トランスベスティズムtransvestism)などがあげられてきた。…
※「近親相姦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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