阿【て】河荘(読み)あてがわのしょう

百科事典マイペディア 「阿【て】河荘」の意味・わかりやすい解説

阿【て】河荘【あてがわのしょう】

紀伊国在田(ありだ)郡の荘園で阿【て】は在田の古称。和歌山県清水町(現・有田川町一帯有田川の上流域で大部分山地。左大臣藤原仲平(なかひら)の遺領で石垣(いしがき)上荘ともいい,992年立券。その後,近江園城(おんじょう)寺円満(えんまん)院が本家,京都白川(しらかわ)寺喜多(きた)院(寂楽寺)が領家(りょうけ)となるが,かねてより所領を主張していた高野山の執拗な領有運動により,1304年高野山領となる。この間,有田川河口を本拠とする湯浅(ゆあさ)氏一族が地頭職・預所職(あずかりどころしき)を獲得。しかし地頭の暴力的な収奪は厳しく,1275年,百姓らが13ヵ条からなる片仮名書きの言上状(ごんじょうじょう)で〈ミヽヲキリ,ハナヲソギ〉という地頭の残虐性を訴えたことは有名。→湯浅党
→関連項目神野真国荘

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

関連語 地頭職

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android