阿久津河岸(読み)あくつかし

日本歴史地名大系 「阿久津河岸」の解説

阿久津河岸
あくつかし

[現在地名]氏家町上阿久津

鬼怒川中流の左岸にあり、奥州街道の白沢しらさわ宿(現河内郡河内町)から鬼怒川を渡り氏家宿に至る渡船場でもあった。白沢宿・氏家宿へは一里、江戸まで五八里。氏家宿は奥州街道のほか会津中街道・日光北街道・原街道に直結し、これらの街道物資は当河岸に津出しされ江戸へ運ばれた。鬼怒川通七河岸の一つで、鬼怒川遡行の終点、最上流の河岸であった。河岸問屋の若目田久右衛門家は中世宇都宮氏の家臣で、慶長二年(一五九七)主家の改易とともに土着し、上阿久津村の草分百姓となったのち、同一一年に河岸を開設したという由緒を伝える(若目田家系図)。また阿久津、板戸いたど(現宇都宮市)両河岸の開設は、慶長六年蒲生秀行に代わって宇都宮城を預けられた代官頭大河内金兵衛秀綱によるものとするものもある(宇都宮志料拾遺)。いずれにしても阿久津河岸は鬼怒川上流の最古の河岸と考えてよいが、その機能が本格的に発揮され始めたのは元和―寛永期(一六一五―四四)以降のことと考えられる。

慶安四年(一六五一)の「下野一国」の「衣川舟道」「かし」に阿久津河岸がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の阿久津河岸の言及

【鬼怒川】より

…また,下流部の真岡市勝瓜(かつうり)には勝瓜頭首工が建設され,大井口,江連,吉田などの用水で約9400haを灌漑している。 鬼怒川は中近世には水上交通路として重要であり,阿久津河岸(現,高根沢町)は会津などからの廻米や木炭などの積換港として栄え,水海道(みつかいどう)は鬼怒川水運の河岸として発達した。1629年(寛永6)小貝川を分離し,1621年(元和7)から54年(承応3)にいたる数次の開削で鬼怒川が利根川の支流となったことは,画期的な流路変更であった。…

※「阿久津河岸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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