20世紀日本人名事典 「阿波根昌鴻」の解説
阿波根 昌鴻
アハゴン ショウコウ
- 生年
- 明治34(1901)年
- 没年
- 平成14(2002)年3月21日
- 出生地
- 沖縄県上本部村(現・国頭郡本部町)
- 学歴〔年〕
- 嘉手納農林中退
- 経歴
- 大正14年移民としてキューバに渡り、のちペルーに移る。昭和9年沖縄に帰り伊江島に移住、農業に従事。20年沖縄戦で一人息子を失い、反戦平和のために闘うことを決意。戦後、米軍の“銃剣とブルドーザー”による土地接収に抵抗。本島各地を島民と歩いて実情を訴え、徹底した非暴力主義を貫いた“伊江島闘争”は、沖縄全体に広がった反基地のうねり“島ぐるみ闘争”へとつながった。沖縄の反戦・基地撤去闘争のシンボル的存在として知られ、軍用地としての土地契約を拒否し続けた。また、米軍用地として強制使用された所有地に対する10年分の損失補償金に一括して所得税を課税されたのは不当だとして、名護税務署長を相手に裁判をおこす。平成6年12月那覇地裁では勝訴するが、8年10月福岡高裁那覇支部では逆転敗訴、10年11月最高裁は上告を棄却した。傍ら、平和を訴え、破弾、流弾など戦争の遺品の数々を拾い集めて、昭和59年反戦平和資料館・ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家を開設、主宰し反戦平和の実践活動を続けた。平成8年橘祐典監督により記録映画「人間の住んでいる島」が完成。著書に「米軍と農民―沖縄県伊江島」「命こそ宝―沖縄反戦の心」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報