朝日日本歴史人物事典 「院源」の解説
院源
生年:天暦5(951)
平安中期の天台宗の僧。一説に天暦6(952)年生まれ。陸奥守平基平の子。幼くして父を亡くし,比叡山に登って良源,覚慶に師事した。正暦4(993)年,円珍門徒(寺門派)が比叡山から分離した際,勝算,成算らの横暴を訴える奏状を書く。長保3(1001)年に権律師,翌年内裏御八講の賞により権少僧都,寛弘4(1007)年に天台座主(第26世),権僧正,治安3(1023)年に僧正となり,法務を兼ねた。万寿2(1025)年には後一条天皇に仁王経(護国安穏のため般若波羅蜜多を受持すべきと説く)を講じて,天皇などの乗り物である輦車での参内を許された。このように僧侶としての栄達を極めたのは,院源が説法の名手で,皇族,貴族の需要に幅広く応えていたことにもよる。藤原道長の造営した法成寺金堂の落慶供養の導師,一条上皇,三条上皇,藤原彰子,道長らの出家の際の戒師,葬送の導師なども勤めた。<参考文献>『天台座主記』『元亨釈書』4,卍元師蛮『本朝高僧伝』10(『大日本仏教全書』),『三十五文集』『今昔物語集』19(『日本古典文学大系』25巻)
(三橋正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報