隆子女王(読み)たかこじょおう

朝日日本歴史人物事典 「隆子女王」の解説

隆子女王

没年:天延2.閏10.17(974.12.3)
生年:生年不詳
平安中期の斎宮。松本宮と称される。醍醐天皇の子である章明親王の娘。安和2(969)年,伊勢斎宮に卜定される。天禄1(970)年,初斎院から野宮に移り,1年の潔斎ののち伊勢に下向した。伊勢にて奉仕すること3年余,天延2(974)年に疱瘡を病み,現地でその生涯を閉じた。なお,隆子は和歌を好み,源順を判者として歌合を行ったとの説もあるが,史料にはみえない。のちの斎宮,規子内親王が天禄3年8月に催した前栽歌合が,史料によっては「斎宮歌合」と呼ばれていることから,当時の斎宮隆子が主催したものと誤解されたのであろう。

(西村さとみ)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「隆子女王」の解説

隆子女王(3) たかこじょおう

1818-1860 江戸時代後期,伏見宮貞敬(さだよし)親王の第11王女
文化15年4月5日生まれ。天保(てんぽう)12年鹿ケ谷(ししがたに)霊鑑寺にあずけられ,13年伏見宮家系譜からのぞかれて,瑞竜寺で剃髪した。万延元年6月25日死去。43歳。没後伏見宮家の家系にもどされた。幼称は幾佐宮(きさのみや)。

隆子女王(2) たかこじょおう

995-1087 平安時代中期,具平(ともひら)親王の第1王女。
長徳元年生まれ。藤原頼通と結婚し,従一位にすすみ高倉北政所(きたのまんどころ)と称された。寛治(かんじ)元年11月22日死去。93歳。隆姫女王とも。

隆子女王(1) たかこじょおう

?-974 平安時代中期,章明親王の王女。
醍醐(だいご)天皇の孫。安和(あんな)2年伊勢斎宮となり,天禄(てんろく)2年伊勢にむかう。天延2年閏(うるう)10月17日死去。通称は小松女院。

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