朝日日本歴史人物事典 「隆子女王」の解説
隆子女王
生年:生年不詳
平安中期の斎宮。松本宮と称される。醍醐天皇の子である章明親王の娘。安和2(969)年,伊勢斎宮に卜定される。天禄1(970)年,初斎院から野宮に移り,1年の潔斎ののち伊勢に下向した。伊勢にて奉仕すること3年余,天延2(974)年に疱瘡を病み,現地でその生涯を閉じた。なお,隆子は和歌を好み,源順を判者として歌合を行ったとの説もあるが,史料にはみえない。のちの斎宮,規子内親王が天禄3年8月に催した前栽歌合が,史料によっては「斎宮歌合」と呼ばれていることから,当時の斎宮隆子が主催したものと誤解されたのであろう。
(西村さとみ)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報