霊鑑寺(読み)れいかんじ

精選版 日本国語大辞典 「霊鑑寺」の意味・読み・例文・類語

れいかん‐じ【霊鑑寺】

  1. 京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町にある臨済宗南禅寺派の尼寺山号円成(えんじょう)山。承応三年(一六五四)創立。開基は浄法身院宗澄(後水尾天皇皇女)。以後皇女が入寺。尼門跡の一つ。旧如意寺を再興したもので本尊は恵心作の如意輪観世音。下賜の御所人形多数を所蔵する。鹿ケ谷御所。鹿ケ谷比丘尼御所。谷御所。

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日本歴史地名大系 「霊鑑寺」の解説

霊鑑寺
れいかんじ

[現在地名]左京区鹿ヶ谷御所ノ段町

円成山と号し、臨済宗南禅寺派に属する尼寺。本尊は寺の東方山中にあった如意によい寺の本尊、如意輪観音。寺伝によれば、妙法院宮尭然法親王の母で後陽成院女房大納言典侍が慶長一七年(一六一二)に妙法院門跡領の一部を譲り受けて屋敷を設けた。正保元年(一六四四)典侍が没した後、その遺志により後水尾院が皇女多利宮を開山として創立したという。

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改訂新版 世界大百科事典 「霊鑑寺」の意味・わかりやすい解説

霊鑑寺 (れいがんじ)

京都市左京区鹿ヶ谷にある臨済宗南禅寺派の尼門跡寺院。円成山と号する。通称〈谷の御所(たにのごしよ)〉,また〈鹿ヶ谷比丘尼御所〉。本尊如意輪観音。後水尾法皇の発願で皇女浄法身院宮宗澄尼(多利宮)を開山に,寺領120石を寄せて開創,1654年(承応3)勅許により円成山霊鑑寺と称した。そののち明治維新まで皇女が入寺して歴代住持となり,堂宇再造には禁裏の旧御殿を下賜されるなど,皇室との関係は深かった。現在本堂,庫裏書院表門などを備え,寺域は広く,境内は閑寂典雅な景趣に富む。寺宝として後奈良・正親町・後水尾・後西各天皇の宸翰,親王女王の真跡,禁裏から下賜された多数の御所人形などを伝蔵する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「霊鑑寺」の意味・わかりやすい解説

霊鑑寺
れいかんじ

京都市左京区鹿ヶ谷(ししがたに)御所ノ段町にある臨済(りんざい)宗南禅寺派の尼寺。山号は円成山(えんじょうさん)。谷(たに)御殿、鹿ヶ谷御所ともいう。本尊は如意輪観音(にょいりんかんのん)。1653年(承応2)後水尾(ごみずのお)天皇は霊夢を感じ、如意ヶ岳(大文字(だいもんじ)山)山頂にあった如意寺の如意輪観音像を移し、西麓(せいろく)の鹿ヶ谷に当寺を建立、その際、如意寺に伝わる霊鏡も移したことから寺号を命名した。後水尾天皇の皇女宗澄(そうちょう)内親王が入住して開基となり、当時は現在地の南隣にあったが、1687年(貞享4)後西(ごさい)天皇の皇女普賢院(ふげんいん)宮が住持したとき父帝の旧殿を賜り、現在地に移建した。以来鹿ヶ谷比丘尼(びくに)御所と称し、代々皇女が入寺して霊鑑寺尼宮とよばれた。後水尾、後西、光格(こうかく)諸帝の宸翰(しんかん)などが伝わる。

[平井俊榮]

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